じんわりとあたたかい気持ちになる話だった。


私の近所に「くま」が引っ越してくる。

引っ越しそばを配る、少々昔気質な「くま」。

「くま」にさそわれて散歩に出る。

夜、

私は「くま」とのあれこれを振り返り、

悪くない1日だったと思う。


はてさて、この話は、何を伝えたかったのか?


「くま」が近所に越してきて、

一緒に散歩に行き、会話するなんてことは、

普通はない。

夢のお話かな?とも思うが、

相手が「くま」だということ以外は、

ありふれた日常だ。

「くま」は、

ひらがなで「くま」と表記されていることもあり、

何かのメタファーかもしれない。

ところが最後に

「熊」の神様が出てくるので、

やはり「くま」は「熊」らしい。


「くま」と書いてあると、

プーさんのような、ぬいぐるみのような

くまを思い浮かべる。

「熊」と書かれると

獣のリアルな熊を思い浮かべる。

日本語はすごいと思う。

どう表記するかで、

伝えたいイメージを表現できる。


私と「熊」は、

お互いに楽しい1日だったと思っているようだ。

心が通い合っている。

現実の世界では、まあ、ないだろうなあ。


ないが、

相手が「熊」であること以外は

余りに自然な物語なので、

そんなこともあるのではないか?と思ってしまう。


うん?もしかしたら、あったかもしれない。

そういえば、あったような気もする??


自分とは世界の異なる誰か、何か、と

交流し、心を通わせる出来事。

背景の異なる2人が、理解し合うこと。

簡単そうで難しい。

だから

通じ合えたらしい、と感じたとき、

心がじんわりあたたかくなる。

奇跡みたいだと思う。


そんな奇跡みたいなことが

ありふれた日常の中にある。


そんな日々を信じられることに

思わず、ありがとう、と言いたくなる。


神様、ありがとう、と。





息子の現代文の課題を聞き、

こっそり私も感想文を書いてみた。

今どきの中学では、

川上弘美が題材となり、

解釈をクラスで議論するらしい。

私もこんな授業を受けてみたかったなあ。