「私好みの本ばっかり並んでるんですけどー!」

と、本屋の棚を見て思ったのは、初めてのこと。


1番最初に目に飛び込んできたのが

書店中央の棚、

木下龍也さんの『オールアラウンドユー』。

木下さんの歌集を囲むようにして、短歌本が多数。

絵本コーナーには、斉藤倫さん。

文庫本コーナーも、いい感じ。


ここは、東京・荻窪の『本屋 Title』。

店主は、幻冬舎からエッセイを出していた。


『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』辻山良雄


エッセイは、

本屋を始めた頃のことからコロナ禍中までの

本や書店経営にまつわる

あれこれが書かれているのだけれど、

こんな静かな文章は、久しぶりのような気がした。

おおげさではない、感情に正確な言葉選び。


気がついたこと、感じたこと、を

ことさら結論づけたり、強く言い切ったりはしない。

私小説作家といわれる

佐伯一麦さんの一連の小説を思い出す。


ポストコロナの今、

私たちの生活はどう変化したのだろうか。

実感の伴わない株価の上昇に、

相変わらずのマスク生活。

自分の心と、それを表現する言葉の間に

大きな乖離ができ、

どんどん離れていっているような気がしている。

そして、そのことに疲れている自分に気がついた。



そういえば、

本棚とカフェスペースに夢中になって、

2階のギャラリースペースに行くのを忘れた。

次は、ギャラリーものぞいてこよう。


今年、筑波大附属駒場中の国語の入試問題に

『ぼくがゆびをぱちんとならして、

きみがおとなになるまえの詩集』

が出題されたそうです。


この本は、詩のアンソロジーでもあり、

詩のすばらしい解説書でもあります。

と同時に、

全体がひとつの大きな詩になっていると思います。


亡き親友の息子である小学生の「きみ」と

いい年のおっさんの「ぼく」。

2人の交流を通して、

詩とはなにか?ことばとはなにか?が

ゆっくりと深められていきます。


2人の会話の周りにあるのは、

カップラーメンや枝豆といった

ごくごく日常的な食べ物。

そして、

晴れたり雨が降らなかったり、暑さが増したりと

季節が巡っていきます。

詩は、特別な、おめかしした場所ではなくて

日常のそこここに転がっているのですね。


「ぼく」は、

詩は『ことばにしようとした、あと』

だと言っています。


『ひとは、ことばをつくって、

こころを、あらわそうとした。

それでも、あらわせないものが、詩になった』


季節の移り変わりとともに

小学生の「きみ」も少しずつ変わっていきます。

子どもから大人になる、ほんの一瞬。

その瞬間をとらえようと、

『ことばにしようとした、あと』が

この本には、確かにあり、

そのことに震えるほどの感動を覚えます。



去年、息子が中学受験をするにあたり

国語で出題される「詩」の理解のためにと

この本を渡しました。


当時息子は、

人生で初めて出会った“憧れ”の同級生を追いかけて、

勉強に取り組んでいました。

セミが羽化をするように

サナギが蝶になるように

しなやかにまっすぐに

劇的な変化を遂げていく息子。

そしてそれは、

今まさに息子の子ども時代が

終わろうとしている瞬間なのだと

気づかせてくれたのは、この本でした。


この頃の息子の様子が

「きみ」の姿に重なり、

私にとって、読むたびに胸が熱くなる1冊です。


風さん、とうとう世界に向けて、

本当に伝えたいメッセージを発信し始めたのですね。


『grace』は、賛美歌ですね。

最初にこの曲を聴いたとき、そう思いました。


音楽を通して

神のみ弟子?伝道師?として活動していく宣言かな?

その覚悟の表明にも感じました。


実は、

風さんの歌を語ろうとするとき、

神の存在は避けて通れなくて。

でも、これまでの曲は、

風さんが神を意識して書いた曲だったとしても

聞き手によってどんなふうにも

受け取れるように書かれていたから、

風さんの意図を探ることだけが正解ではないと思い、

あえて強く神の存在について指摘はしてこなかった。

信仰とか宗教とかと

安易に結びつけてほしくないだろうと思っていたし。


でも本質的には、神への賛美や恋慕があるなあ、と

ずっと思っていて。

この強いメッセージが

人の心を揺さぶるのではないかと思っていた。

風さんの歌は、

単にメロディがいい、声がいい、

歌の表情豊か、なだけではなくて、

隠れた強いメッセージが、

人を惹きつけるのではないか、と思っていた。


神へ捧げる歌が、なぜこんなに心を揺さぶるのか、

ずっと気になっていた。

子どもたちが通ったキリスト教系幼稚園で、

初めてキチンと賛美歌を歌ったとき、

なんだかわからない感動が湧いてきて、

泣きそうになったことがある。

クリスチャンでピアニストでもある友人は

クリスマスミサでの賛美歌ほど

心揺さぶられる歌声はない、という。


歌の起源はわからないのだけれど、

歌って、

魂の叫びみたいなものなのかなと思っている。


魂の叫びである歌に込めるのは、

人として寄って立つ柱のようなもの、

生きていく上で必要な本質的な何かであり、

風さんが歌を作るとき

神への思いがテーマになってしまうのは

必然だったのだろうと思う。


初めて?『報道ステーション』に出演したとき、

「歌を作ってみたら、

結果的にこんなテーマになった」

というようなことを言っていました。


『grace』は、もう隠すことなく

神への賛美をうたってますよね。

ダブルミーニング的な表現もなく、

ストレートでわかりやすい言葉。


どうぞご自分の心に従って、

自由に進んでいってください。

風さんの旅路に幸あれ。


曲の最後のビート音、

私には解放された心の鼓動に聴こえました。