今日は憲法記念日。
そもそも憲法とは、政治家や役人と言われる権力者の横暴を防ぐためのもの。
国家権力を縛る「立憲主義」の基本。
日本初の憲法『十七条の憲法』を考えれば解りやすい。
さて、今を考えると、その縛られるはずの政治家が
「アメリカが作った法律」
「古い考えで、現代にそぐわない」
をうたい文句に、自分たちの都合のいいように塗り替えようとしている。
法律を顧みない輩たちによって。
2年前のこのブログで
「刑務所に入っている囚人が、刑法を変えろと言って居るのと同じような物」
と、書いた。
さて、日本国憲法の前文を読み返してみよう。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
政治は、一部の権力者のためのものではない。
ましてや、税金は政治家の贅沢や欲望のために使われるものであってはならない。
今日の北海道新聞の社説欄では
「こうなってしまったのは、1強多弱の政治で権力の“おごり”が生み出してしまった結果だろう。」
とまで書いている。
その姿は、金にものを言わせて優秀な選手を獲得して勝ち続けた読売ジャイアンツのようだ。
更に、
「立法府による行政府へのチェックが弱くなり、三権分立も機能しなくなった。」
とも。
1強多弱を生み出したのは、投票率の低さに原因が大きい。
政治に関心を示さないように誘導されている感が有る、
結果を読み過ぎて諦めている人が多い。
しかし、そうではないことは、麻生政権をつぶした総選挙で実証されている。
主権は、我々一般国民に有ることを忘れてはならない。
今の時代、ネットで日本国憲法を読むことが出来る時代。
憲法を改めて考えてみることが必要な時ではないだろうか。
如風でした。