いまだに解き明かされない謎の一つに、邪馬台国の存在がある。
最も有力な畿内説。
これは、保守派層に支持されているようで、「大和国」と「邪馬台国」の発音が似ているとか、文化の中心でありたい関西の文化が要因。
そして、九州説。
初代の天皇である神武天皇が今の宮崎県、当時の日向から東進して奈良県に入り大和国を建設した事などから踏まえて、九州にはそれなりの統制された文化があった事が日本書紀に記されている。
さて、ここで問題になるのが年代。
邪馬台国が歴史の中で記されているのは「魏志倭人伝」。
三国志のひとつ「魏」に作られた歴史書なのだが、これはAC200年代。
神武天皇が大和国を建設したのがBC600年。
邪馬台国の存在よりも、大和国の建設のほうが古い。
それでは、邪馬台国の存在の辻褄が合わない。
ここで、畿内説が崩れる。
距離的に言っても九州のほうが魏の都があった洛陽に近い。
やっぱり、九州説かなと思っていたら、YOU TUBEで、面白い意見を見つけた。
魏志倭人伝を解析しながら、魏の使者が辿った道のりから推測している。
すると、現在の茨城県の常陸国に辿りついてしまった。
国の重要文化財に指定され,多くの文化財を現在に伝え、鹿を神使としている鹿島神宮だ。
日本神話に登場する「タケミカヅチノオ」を祭神とし、現在でも武道では篤く信仰されている。
この地に、邪馬台国が存在したと語っていて、実に興味深い。
そういえば、別の話だが東京スカイツリーの立っている場所も、鹿島神宮が絡んでいたと言っていた。
鹿島神宮には、何かあると感じる。
そして、そのYOUTUBEが、これ。
『完全版』邪馬台国の場所が判明!歴史のミステリーがついに解明される! (youtube.com)
興味のある方は、ご覧になるといい。
如風でした。