守りだけでは、勝てない | 頑固爺”如風”コースケのブルース

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8千キロも離れた所で、海底火山が噴火した。

気象庁は、「津波は来ない」と予測した。

でも、津波は来た。

被害に遭われたかには、お見舞いを申し上げます。

噴火した時点で、「OO時ころ、津波が来るかもしれない」という危機感を、何故、気象庁は判断できなかったのだろうか?

これは、科学力の低さではない。

来ないだろうという、心の甘さだ。

コロナの初期対応と、全く、同じ。

自分には危険が来ない。

そんな甘い判断が、何人の人を失ったのだろう。

運転の心得ではないが、「~~かもしれない」という危機感が持てないのか?

ましてや、一国を掌る人達の責任ある替場の人間が。

そして、攻め込まれた時には「まん防」や「緊急事態宣言」という負けを覚悟したような籠城戦に為ってしまう。

それも、中途半端な周りを考えない部分的な籠城戦だ。

守りだけでは、民を失う敗戦と言う歴史に、何故、目を向けないのか?

たった一つしかないかもしれない”攻撃”の糸口を見いだせない。

今、残されている糸口は、PCR検査を徹底して、無症状の感染者に手を差し伸べる事ではないのか。

そして、治療薬の更なる開発。

その上で、消毒によるウィルスの撃退。

「専門家」と言われている知識人がm政府の要望に応えて出す対策など、屁のツッパリにも為らない。