何をやっていても、「責任」と言う物が付いて回る。
仕事。
遊び。
運転。
親子。
そして人生。
責任を持って行動するから、そこに信頼が生まれる。
この責任という”十字架”を背負っている者に、自由が与えられる。
自由な行動、発言の源に「信頼」が無ければ、それは我儘であり戯言。
しかし、この責任を感じながら行動している者が、最近は少ない様に感じる。
責任とは、1つでは無い。
あらゆる物に、ついて回る”厄介者”だ。
そして、地位、身分が高く成れば成る程、多く、大きく為る。
更に、公共の仕事に携わる者には、より大きな責任という物が強くなる。
人の命、生活に直結してくるからだ。
さて、今の国会の中に、責任は果たされているのか?
多くの税金で飯を食っている輩だ。
責任逃れの発言、行動が横行している。
国民の思いを捉えている者が、何人、居るだろう?
誰の為の、国会なのか?
民主主義が、崩壊する。