高校3年の頃 | 強烈自閉くんとの暮らし

強烈自閉くんとの暮らし

28才の自閉症の息子を育てている、落ちこぼれ母のつぶやきです。日々おだやかに暮らしたいのに、何かしら仕出かしてくれる息子…心がポキポキに折れてしまう事も多いけど、たまーに息子から素敵なプレゼントがもらえます。それを心の支えに日々頑張っています。

ぽん太が強度行動障害を発症したのは

色々原因はあるかと思いますが


不安が強すぎる特性と

ストレス耐性が弱いのと

過敏過ぎる神経。


それを私が理解せず

無理をさせすぎたからかな、と思っています。




高3で担任が変わりました。

クラス替えは無し。


ぽん太はこのクラスが嫌いで

廊下で立っている事が増えました。


新しい担任も嫌い。




高3は何もかもやる気を無くし


特別支援学校生活12年間で

一番荒れた年になりました。



修学旅行はストレスでゲーゲー嘔吐しながら参加。


運動会はほとんど練習に参加せず

ほぼぶっつけ本番。


授業も寝てたり、全く聞いて無かったり。


保健室で数時間過ごしたり、欠席も多くなった。



『ぽん太くんをどう指導して良いかわかりません。』


担任に言われました。


担任に匙を投げられ、どうすれば良いのか😵



幸い、卒業後の就労先である事業所の実習には

不穏にならず、行ってくれました。


実習が評価され、現在通所している事業所に

就労が決まりました。

実習中だけ調子が良かったのは奇跡です。



バスケ部も3年生の最後の大会直前まで

続けました。


でも、大会前夜に大暴れし、


『ぼくはバスケが下手だから❗』

『ぼくが行くと負けるんだ❗』


泣きながら叫んでいました。


チームメイトから言われていたんだと思います。


大会の参加はやめました。


チームメイトからぽん太が着るはずだったユニフォームとメンバーの写真が送られて来ましたが


そんな写真より、ぽん太本人の前で

下手とか言わないで欲しかった。


この日でぽん太はバスケ部をやめました。


本当にかわいそうな事をしました。




卒業式が近付いて来ると

ぽん太はどんどん不穏になりました。


卒業後が不安過ぎて

どうして良いかわからなくなった。


『ぼくは卒業しないんだ❗もう1回3年生をやる❗』


卒業式の練習にも全く参加出来ませんでした。


卒業式には出ない❗と宣言したぽん太。



担任との最後の面談で


『卒業式は最悪、教室待機を覚悟して下さい』と

言われました。