5年前のこと…つづき | 強烈自閉くんとの暮らし

強烈自閉くんとの暮らし

28才の自閉症の息子を育てている、落ちこぼれ母のつぶやきです。日々おだやかに暮らしたいのに、何かしら仕出かしてくれる息子…心がポキポキに折れてしまう事も多いけど、たまーに息子から素敵なプレゼントがもらえます。それを心の支えに日々頑張っています。

前回記事のつづきです。


事業所グループ運動会の前日の日のこと。


事業所から帰って来てから大パニックになったぽん太に

裸足のまま窓から放り出され家から閉め出された私。


外に飛び出されるのも困りますが

家に籠城状態も困ります。


外から窓を叩き、何とか家に入れてくれるよう
ぽん太に懇願した私。



窓じゃなく玄関に回ったぽん太。
玄関を開け、玄関ドアの前で仁王立ち。




人間、ここまで大きい声が出るのか、と思うほどの絶叫で




『お母さん~❗️❗️死ね~っ❗️死ね~っ❗️死ね~っ❗️❗️』



近所中に響き渡るぽん太の絶叫。


お向かいの家の玄関にはお客さんが来ていて
ナニゴト?とこちらを見ている。



警察に通報されるかな。
それでもいいや。




ぽん太の絶叫は10分?20分くらいだったのか?

果てしなく長く感じた。


一生の間に
人に死ね❗️と絶叫される経験、って
あんまり無いと思うけど


私はこの時ぽん太に
20回くらい死ね❗️と言われた。


ぽん太を育てていて
こんなに心をポキポキに折られたのは初めてだった。


何より辛かったのは
私の家のすぐ前の道路は小中学生の通学路になっていて
当時中学生だった娘の同級生もたくさん通る。

実際、たくさんの中学生がぽん太を見ながら通り過ぎた。


『死ね❗️と絶叫している男がいた』なんて学校で噂になったら
娘は傷つくだろう。

中学2年生。思春期真っ只中。
学校へ行けなくなるかもしれない。


何より今、娘が帰って来て
狂人のように騒ぐ兄の姿を見せたくない。


家にいてはらちがあかない、と思った私は
絶叫したままのぽん太を車に乗せて
走り出した。



車の中は修羅場だったので
ここに書く事は控えますが

しばらくドライブして
公園の駐車場に停めて
ぽん太が落ち着いた1時間後くらいに
家に帰りました。


無事に帰れたのが奇跡だと思ったくらい。



帰宅した娘に
兄が大パニックになった事、
学校で誰かに何か言われるかも、と伝えまし
た。

それを聞いても
娘は動じず

『いいよ。別に。言う人なんていないと思うし…』

娘の言葉に救われました。

(実際、この日は金曜日で土日があったおかげで月曜には話題に上がらなかった)


前日にこんなに大変な思いをしましたが
翌日の運動会には出席。


前日の大パニックで気が済んだとばかり思っていましたが


ぽん太の抱えていたものは
私が思っていたより
うんと深く、大きかったのです。


この翌年の6月から
ぽん太は事業所を休みがちになり
家で暴れるという地獄の毎日を過ごしました。


特別支援学校に12年通い
卒業後は私が決めた就労継続B型の事業所に通所することになったぽん太。
(ぽん太はもともと在宅希望だった)


新しい環境に慣れるのに必死なところに


ぽん太の将来のため、と
ヘルパーさんの移動支援と
ショートステイという
新たな福祉サービスをスタートさせた。



ぽん太のために、と思っていたけど

ぽん太にとっては『いい迷惑』だった。



そして、事業所でも人間関係に悩んでいたぽん太。


それがわかったのは2016年の2月だった。



ぽん太の苦しみをわかってあげるのに
ずいぶん長い時間がかかってしまいました。



今でも
ぽん太が日々穏やかに暮らせるために

試行錯誤の毎日です。