能登半島被災地へ届けられた、個人からの支援物資には、
期限切れの飲食品や、使い古しの下着など、
ゴミでしかないものも含まれているとのこと。
悪意で送っているわけではないのだろうけど。
善意の迷惑行為は扱いに困りますよね……
迷惑な支援品に関する記事をいくつかのメディアがとりあげています。
それらを読むうちに、旧約聖書『マラキ書』の言葉がリアルに迫ってきた気がしました。
神様は、こういうことをいっているのだなあと。
古代ユダヤの堕落した祭司は、
病気の不良家畜などを神様への捧げものにしていたようです。
現代風に言えば、
賞味期限切れの食品や、使い古しの下着などを
善意の支援品として提供するのがまさにそれだなと……
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……私の名を軽んじる祭司たちよ
あなたがたは言う
「我々はどのように御名を軽んじましたか」と。
あなたがたは私の祭壇に
汚れたパンを献げておきながら
「我々はどのようにあなたを汚しましたか」と言う。
あなたがたは
主の食卓は軽んじられてもよいと思っている。
あなたがたが目の潰れた動物をいけにえとして
献げても、悪いことではないのか。
足が傷ついていたり、病気である動物を献げても
悪いことではないのか。
それを総督に献上してみよ。
彼はあなたを喜びとし、受け入れるだろうか
――万軍の主は言われる。
――旧約聖書『マラキ書』 1章 6b-8節
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処分に困っている不用品を、フリマアプリやバザーなどに出すのはぜんぜんOK。
買う側も中古品だとわかってるから。
フードロスを減らす目的で、賞味期限切れだけどまだまだ食べられる食品を格安で販売するショップもあります。
購入者もそれに同意して購入するからOKですね。
パソコンショップでは、壊れて使えないジャンク品を投げ売りしてます。
パソコン自作したい人が自己責任で安いパーツを求めて買うのだから、これもOK。
どんなジャンク品でも、双方の合意があって授受するなら、地球にやさしいリサイクル◎
マラキ書の神様は、リサイクルを咎めているのではないです。
大切な人への贈り物に、賞味期限切れの食品や中古下着を選ぶのか?という話ですね。
日ごろからお世話になっている人に贈るなら、
なにか心のこもったもの、最低でも失礼ではないものを選ぶはずです。
まして命の主である神様に対してならなおさら。
ユダヤ人が固執する律法でも、神様に捧げてよい動物の基準が細かく規定されてます。
ようするに、いちばん上質のものを捧げよとあります。
病気、ケガなどで傷んでいる動物はNG。
なのに古代ユダヤでは、一般人ならともかく、祭司までもが、
神様に病気の動物などの不用品を捧げるのが常態化していたというから、
人間生活もそうとうに乱れていただろうと思われます。
あなたがたは私の祭壇に
汚れたパンを献げておきながら
「我々はどのようにあなたを汚しましたか」と言う。
あなたがたは
主の食卓は軽んじられてもよいと思っている。
(マラキ 1:7)
聖書では、神の神殿とは宗教的建造物をさすだけでなく、
人間自身のこと=人のからだは聖霊様が住まわれる神殿といいます。
災害の被災者や、生活困窮者など、困っている立場の人に、
支援の名目で「もてあましている不用品」を送りつけるのは、
人に対して失礼である以上に、
主なる神様の食卓を軽んじている行為なんだと思いました。
自分で買って喜んで食べるなら神様の恵みです(^^♪
でもそうやって途上国に送られた衣類はどうなるのか。
BBCのドキュメンタリーでやっていました。
とてもショックでした。
先進国から送られた衣類の多くは迷惑なゴミであり、
産業廃棄物扱いになっていて、処分場は衣類の山になっている……
↑日本語字幕付き:3分間の動画
私は海外の産業廃棄物を増やしてやろうという悪意で、
ユーズド衣類を持ち込んだつもりはまったくなくて。
手元の不用品をリサイクルできるならありがたいと思っただけです。
でも結果として、私が良かれと信じて持ち込んだ中古衣類は迷惑な支援品として、
いまどこかの外国のゴミ処分場に埋められているかもしれない……
神様から見ればたぶん、被災地に中古下着を送るのも、
リサイクルのつもりできれいな中古ジャケットを送るのも大差ない。
ただの偽善……神様の御心とはそぐわない罪なんですね。
不用品を処分する手間を他者におしつけているだけ。
処分する罪悪感を、支援やリサイクルという善行にすりかえてるだけ。
聖書がいう罪とは、あからさまな悪意の犯罪だけではなく。
自覚がない偽善も含みます。
偽善は悪意がないだけに、罪を自覚しづらいからたちが悪い。
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誰が知らずに犯した過ちに気付くでしょうか。
隠れた罪から私を解き放ってください。
――旧約聖書『詩編』 19章13節
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きれいな衣類をリサイクルに出すのは、
被災地にゴミを送るよりはマシ?
そんな罪の大小比較は、
主なる神様の前ではまったく意味がありません。
今日も明日も、私はひきつづき無自覚の罪をおかしつづけるでしょう。
罪を犯しては大変だから、委縮して何もしないということではなく。
そんな罪人の私を救うために、
ご自身の命をさしだしてくれた主イエス・キリストに信頼する。
賞味期限切れのパンや、病気の動物が、
神様への捧げものにならず、支援品として使えないのと同様に。
罪ある人間の命をどれだけ捧げても、罪の赦しを得ることはできない。
でも神の子イエスが、自らの命をいけにえとして神に捧げることで
全人類の罪の赦しはすでに得られているのだから。
主イエス・キリストを信じて罪から救われたキリスト者は、
罪を恐れて何もしない「無為の聖人」になるのではなく。
毎日「主の祈り」などで、罪の赦しを祈り。
神様の御心にかなう道を歩めますようにとも祈り。
何をするにもとにかく主イエス・キリストとの関係の中で行う。
私が思う善ではなく、神様の最善を選ばせてくださいと祈りながら。
そうやって、神にも他者にも大小の迷惑をかけながら、
イエス様と歩みつづけたいと思いました。
日本の被災地にも、被災していないところにも、世界のあちこちにも、
祈りの課題が多すぎて、何をどう祈ればよいのかまったくわからないです。
イエス様。
何をどうしていいのかわからない、何もできない私たちを憐れんでください。
何をすべきか、するべきでないか、一人ひとりにわかるようにお導きください。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン
ヤマザキパンの社長さんはキリスト者だったのですね!
いつもお世話になってます、ありがとうございます
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』
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↓聖書を読んで、神様ともっと仲良くなりましょう☆
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