キリスト教の讃美歌集は何種類かあるようですが、

私は『新聖歌』をもっています。

 

私が洗礼を受けた教会が使っていたからです。

 

 

教会でたいへんお世話になった某氏のおさがりです。

(シールを貼ったのは私です)

 

せっかく讃美歌集を譲っていただいたのだから、

神様にたくさん賛美の歌をおささげしたいと思っているのに。

 

残念ながら、私の心にマッチする讃美歌がない……

 

・ 歌詞の言葉づかいが古くてピンと来ない

・ 歌詞の内容に共感できない、感情移入できない

・ メロディーが気に入らない

・ 歌詞とメロディーのテンションがちぐはぐ

・ 歌詞の抑揚と、メロディーの抑揚が合ってない

 

とまあ、そんな感じで。

気に入った讃美歌がない。

気に入らないから、あまり歌う気になれない。

 

キリスト教の讃美歌って、欧米の軽快なメロディーに、

日本語の擬古文調の歌詞をくっつけてるから、

ちぐはぐな歌が多いという印象です。

 

楽譜は読めるから、どの賛美でも歌おうと思えば歌えます。

でも、歌っている私自身の心に響かない。

歌えば歌うほど虚しい気持ちになる。

神様だって、私が義務感だけで歌った賛美なんか

聞きたくないでしょう。

 

教会の礼拝で歌っていた時はね、

集まった皆で歌う楽しさがあった。

近所迷惑を気にせず声を出せる楽しさもあった。

発声練習にちょうどいいわーとも思ってた。

 

でも、うちの家はあまり防音がよろしくないため、

音量 pp ピアニシモでしか歌えないです。

 

自宅で讃美歌を歌いたくても、

声を出す楽しさがないうえに、

讃美歌自体がつまらないというのは、致命的です。

 

「賛美の歌を、イエス様におささげしたいのに。

 私の心に響く讃美歌がありません。

 だから歌いません。

 良い歌がないのが、とても残念です」

 

教会を辞めてから、一応毎日、

神様にそういうお祈りはしていました。

賛美を歌いたい気持ちはあるからね。

 

それが今週になって、

ふと、神様からの応えをいただきました。

 

 

 あなたが気に入る歌ではなく。

 神が気に入る歌でもなく。

 

 いま、この世界のどこかで、

 その詞を必要としている人のために、

 あなたの祈りの歌をささげてほしい……

 

 

ああ、そういうことか!

 

目からウローコ☆

なんか一瞬で心が軽くなりました。

 

神様と私、一対一の関係。

そこばかり見てるから、わからなかった。

 

讃美歌の本質は、「神様への祈り」ですものね。

祈りの言葉に、メロディーをつけたものが讃美歌だから。

 

私の好みではない讃美歌であっても。

 

いま、この世界のどこかで、

人生の闘いに苦しんでいて、

神様助けて!と叫んでいる誰かにとっては、

今すぐ必要な祈りの魂かもしれない。

 

神様は、私の知らないどこかの誰かに、

いまこの瞬間に、

その讃美歌の心を伝えたいと願っておられる。

 

今ここで、手もちぶさたの私が、

讃美歌を神様におささげする。

「この歌詞の御心が、どこかの誰かに届いてほしい」

と祈りながら。

 

その讃美歌が、どこかの誰かには、

神様の声として届いて、

いまこの時をのりきる命綱になるかもしれない。

いや、たぶんそうなんだと思う。

 

それならば。

 

私の個人的好みなんか全然関係ないやん。

歌詞が気に入らん、メロディーが気に入らん……

そんなの関係ない。

 

讃美歌は、祈りだから。

 

今朝のお祈りの後、

「どの歌をおささげすればよいでしょうか?」

とイエス様に尋ねながら、新聖歌を適当にパッと開きました。

 

 

ああ、これね。

「201 イエスはわがいのち」

 

私一人だったら、シラけながら歌う讃美歌です。

歌詞がちょっと古いし、なんか大げさだし、

私のテンションと合わないし……

 

でも。

 

「神様は、この讃美歌に込められている祈りを、

 どこの誰に届けようとしておられるだろうか。

 神様の御心が、その人の魂に届いてほしい……」

 

そう考えると、讃美歌を見る目がまったく変わります。

 

歌詞の内容を、ていねいにくみとりながら、

届くべき人に届いてほしいと願いながら、歌えました。

なんともいえない充足感がありました。

 

私の家で一人でぼそぼそ歌った祈りが、どこの誰に届くのか。

私がそれを知る必要はないです。

 

ただ、たしかに、神様はその祈りの歌をとおして、

どこかの誰かが必要としている何かを、届けてくださった。

私の知らない誰かに、何かが届いた。

そういう感触があります。

とても心地よい霊的感触です。

 

 

私がいままで讃美歌を歌えなかったのは、

讃美歌の目的を間違えていたからなんですね。

 

「神様におささげする歌だから、

まず私自身がその歌を好きにならなければ……」

と思いこんでました。

讃美歌は、神様をほめたたえる歌だから、

「神様すごーい、ハレルヤ、ハレルヤ!」

って、神様をヨイショするものだとも思ってた。

 

しかし私は、神様をヨイショして機嫌を取る必要を感じないから、
讃美歌がシラけてしまう。

 

神様が求める讃美歌は何なのか。
どうして神様は、賛美の歌をお求めになるのか。
 

私は、そこにはまったく考えがおよびませんでした。

 

今週になって、いままでの勘違いが解消してよかったです。

 

これからは、どの讃美歌でも、

心をこめて神様におささげできそうです。

 

よかった、よかった。

アルハムドリッラー、神に称えあれ!

 

 

 ハレルヤ。

 わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく

 神への賛美はいかに美しく快いことか。

 

 主はエルサレムを再建し

 イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。

 

 打ち砕かれた心の人々を癒し

 その傷を包んでくださる。

 

 ――旧約聖書 『詩編』 147編1-3節

 

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 

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