阪神淡路大震災から、26年がたちました。

神戸で生まれ育った者には、いろいろ思うことがある日です。

 

当時の私は高校2年生でした。

しかしうちの学年は奇しくも修学旅行で、

震災前日から神戸を離れてたから無事だった。

そういう不思議なことって、実際にあるんですね。

 

「あれはいったい何だったんだろう?」

 

事あるごとに、考えてしまいますね。

 

↓震災関連の過去記事

 

阪神淡路大震災に関連して、

私にはもう一つ、まだ未解決の問いがあります。

「書くこと」についてです。

 

これはいままで誰にも話したことがないですが、

もういいかなと、昨日思いましたので、

心の整理もかねて書いてみます。

 

 

私は小説家になりたくて、

中学3年生の時から、小説の新人賞に投稿してました。

しかし一次選考にすら残らない。

今思えば当然ですが。

 

何度投稿しても、一次選考すら通らないまま、

高校2年生になり、震災があり。

神戸港で仕事をしていた父の給与は半減するなどし、

専業主婦だった母はパートの仕事をするようになった……

 

それで私は思いました。

 

「いつまでも、作家になりたいなんて夢を見てる場合じゃない。

 現実をもっとしっかり見ないといけない。

 もう小説を書くのはやめて、受験勉強に専念しよう。

 いい大学にいって、手堅い仕事で生きていけるようにしよう」

 

高校2年生の冬ですから、

将来の進路を定めるにはちょうどいい時期でした。

 

しかし。

 

震災前に投稿した小説の結果が気になりました。

結果発表は、震災の翌月でした。

 

とりあえず結果だけは確認しておこうと、

書店の店頭で、小説誌の新人賞発表ページを開きました。

 

「一次選考通過」の欄を見ました。

私の名前はありませんでした。

念のため、もう一度しっかり見ましたが、やはりありませんでした。

 

「これで未練なく小説をやめられる!

 明日から勉強がんばろう!」

 

とてもすがすがしい気持ちになって、

小説誌を閉じようとした瞬間、

視界の端に私の名前が飛びこんできました。

 

閉じかけたページをもう一度開くと、

「二次選考通過 奨励賞 賞金5千円」

という欄に、私の名前と作品タイトルが……

 

これは私だ!

 

そう認識したのと同時に、

心の中に大きな声が響きました。

 

やめるな!

 

自分の名前を見つけて驚いてるところに、

さらに謎の声が響いた。

 

自分が考え事をするときの声=自分の声とは、

まったく異質な響きでした。

 

もしかして、これが聖書に書いてる神様の声ってやつ?

 

嬉しさよりも、驚きと恐怖で膝がガクガク震えて、

店頭で泣き崩れそうになりましたが、

どうにか耐えて、その小説誌を買って帰りました。

 

そういうわけで、私は受験勉強そっちのけで、

その後も小説投稿を続けました。

 

それ以降は、どの新人賞に投稿しても、

上位選考に残るようになりましたが、

デビューにはあと一歩及ばなかった。

 

大学に入って、フィクション小説よりも、

ジャーナリズム、ルポタージュ、ノンフィクションに、

関心がうつっていったこともあり、

小説からは自然と離れていきました。

 

小説への関心が失せて、

自然にフェードアウトしたのは、それでいいんですが。

 

それでは、あの日の「やめるな!」という声は、

いったいどういう意味だったのだろうかと、

いまだに謎が残ります。

 

だからいまも、神様に毎日尋ねています。

 

あの日の「やめるな!」は、

いったい何に対する「やめるな」だったのですか?

 

ものを書くことですか?

空想することですか?

何かを表現することですか?

夢を実現するため努力することですか?

 

いまだに、答えはいただけてません。

 

「書くこと」には執着しないように気をつけてます。

「書くこと」と生計は切り離して考えています。

 

「書くことが私の天職だ!

これで生計を立てるべきだ!」

などと意気込むと、

そこにつけこむズルい人を引き寄せてしまいます。

 

ともかく、あの日の「やめるな!」の意味が、

いまだにわかりません。
 
震災を機に、
「夢追い人をやめて、現実をしっかり生きよう」
と決意した私をひきとめたのは、どうしてなんだろう?
 
毎回ブログを書くたびに、
 
「あれはいったいどういう意味だったんだろう?
 なんで私はものを書き続けているのだろう?」
 
と気になります。
 
はっきりした答えをいただくまで、
今日も、明日以降も、神様に問い続けるつもりです。
 
ちなみに私が小説家になりたかったのは、
身体が弱かったからです。
 
身体が弱くて、一般の会社員にはなれないから、
在宅で仕事ができる漫画家か小説家になろうと考えた。
 
しかし漫画は画材にお金がかかるから、
中学生のお小遣いでは無理。
小説なら、原稿用紙とペンがあればいい……
ほとんど経費がかからないから小説を選んだ。
 
新人賞をとってデビューすれば、
作家として一生やっていけると思いこんでました。
世間知らずの極み(笑)
 
 

皆さまも、

「あれはどういう意味だったんだろう?」

と気になる個人体験があれば、

その意味を神様に問い続けてほしいと思います。

 

「すべては神様の御意志」

「すべてのことは本来無意味」

「出来事の意味は、意味付けする者の心に一存している」

 

などと達観して、問うことをやめてしまうと、

一気につまらない人間になるからね。

 

つまらない人間にはなりたくないね。

事実は小説より奇なりという生き方をしたいね。

 

今の私は、将来の進路選択に悩む学生と、

まったく同じ状況に戻ってしまっています。


これまで、思いつく限りのことを、

ひととおりやってみたけれど、どれも本命ではなく。

あいかわらず身体が弱いから、

一般企業の正社員という選択肢はない。

 

「これからどうやって生きようか?」

「将来なにを目指せばいいだろうか?」

 

と、これも神様に毎日尋ねています。

 

冗談ではなく、中学2年生と同じ立場です。

生き直しができてラッキーと思うべきか……(^_^;)

 

まあインシャーアッラー。

私の願いではなく、神様の御心がなりますように。

 

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 

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