お皿に盛られたブリの刺身を取ろうとしたら、

刺身にダンゴムシみたいな小さな足が生えて、

チョロチョロと逃げていった。

 

……という夢を見ました。

 

珍妙でキモイ夢でした。

 

 

こういうインパクトある夢を見た時は、

神様からのシンボルメッセージの可能性があるから、尋ねます。

 

 神様、この夢は、何なんでしょうか……?

 

 「なりすましのブリっこに気をつけなさい」

 

ああ、なるほど。

わかりました。

 

私が最近見ていた求人情報ね。

 

ある派遣会社の求人内容がね。

やたら好条件のものがたくさん出ていて。

 

こういう案件がたくさんあるなら、

とりあえず登録してみようかなと、考えていたのです。

 

しかし、やっぱりそうか。

あれはぜんぶ、思わせブリな「釣り求人」なんやな。

 

派遣会社の「思わせブリな釣り求人」が、

私の夢では「ブリの刺身盛り」というシンボルで現れたのですね。

だから私がブリの刺身(仕事)をつまもうとしたら、逃げていった……

 

釣り広告って、ほんとにいやらしい手口ですわね~(=゚з゚=)ブリブリ

 

ひとまず、その派遣会社は除外決定です。

 

なりすましのブリっこ刺身ではなく、

神の子イエスという魚をいただきましょう。

 

神様は、ほんとにいろんな方法で、

私たちに語りかけてくださいます。

 

宗教施設の敷地内でしか、

神様のメッセージを聞けないと思っているなら、

それは大きな誤解です。

神の声を聞く修行、学問、ライセンスは不要です。

 

神様は、いつも私たちと共にいてくださる御方ですから。

 

私たちの日常の出来事、睡眠中の夢、関わった人など、

身近なものをとおして、神様は語ってくれるのです。

 

必要なのは、神様に対して注意深くあることです。

 

『ヨブ記』で、エリフという若者が語っています。

 

 なぜ、あなたは神と争おうとするのか。

 神はそのなさることを

 いちいち説明されない。

 

 神は一つのことによって語られ

 また、二つのことによって語られるが

 人はそれに気がつかない。

 

 人が深い眠りに包まれ、横たわって眠ると

 夢の中で、夜の幻の中で
 神は人の耳を開き

 懲らしめの言葉を封じ込められる。

 

 人が行いを改め、誇りを抑え
 こうして、その魂が滅亡を免れ

 命が死の川を渡らずに済むようにされる。

 

 ――旧約聖書 『ヨブ記』 33章13-18節

 

 

私にあった仕事をお与えくださいと、

毎日神様に祈っています。

 

祈ってかれこれ4年近くになりますが、

まだ仕事ができる状況にはなってません。

 

神様は、私の祈りを聞いてくれないのか?

……いやいや、そうじゃない。

 

神様は私の祈りをちゃんと聞いてくれてるから、

今回のように、「ここはダメ!」と止めてくれる。

 

これまでに何度も、「この仕事はダメ!」と止められました。

 

神様が止めてくれてることに気がつける。

これも大きな恵みだと思っています。

神様の制止に気がつかなかったら、

トラップにかかって余計な面倒が増えてるだけだろうから……

 

「神様に祈りが聞かれる」って、

必ずしも「自分の思い通りにいくこと」ではないと思います。

 

だって、自分の願いが、魂の最善かどうか、

人間にはわかりませんから。

 

自分の思い通りになって喜んだけど、それは最初のうちだけ。

後に面倒なトラブルになって後悔した……

という経験はないですか?

私は何度もあります。

 

もしタイムマシンがあったら、

過去の自分に「それはやめとけ! 断れ!」と言いたい。

 

だから、イエス・キリストにコミットしてから、

物事がぜんぜん私の願ったとおりに進まないのは、

神様が私の知らないトラブルを防いで、

最善へ導いてくれてる証拠だと思ってます。

 

私にはさっぱり事情がわかんないけど、

今は無職でぶらぶらしてるのが安全で最善なのでしょう。

 

アルハムドリッラー、神様に感謝です。

 

 

ちなみに、「神様に祈りが聞かれた」というサクセス談話を、

キリスト業界では「証し/あかし」というようです。

病気が治った系の証しが多い印象です。

 

もちろん、辛い状況が解消した、好転したというのは、

とても喜ばしいことで、神様に大感謝です。

 

しかし「神様に祈りが聞かれた」を、

サクセスストーリーに限定してしまうと、

闘病の末に亡くなった人、受験に落ちた人、離婚した人など、

「サクセスできなかった人」は、

祈りが足りない、信仰が足りない、ダメな人になってしまいます。

 

それでは、スピリチュアルの引き寄せ自慢とまったく同じですね。

 

「私の波動がすばらしいから、すばらしい出来事を引き寄せた」

「私の祈りと信仰が深いから、神様が祈りを叶えてくれた」

 

両者は同じ構図です。

ようするに、「私の力で達成した」 → 「私が神」ってことになる。

これが、神様の道から外れる「罪」。

 

神様に信頼して祈るのは、
神様を「願望実現の道具」として使役することではないです。
 
私はキリストにコミットして洗礼を受けた当初、
「体調が良くなって、新しい仕事がみつかって、毎日楽しく充実してます!」
となるのを期待してました。
 
しかし私の期待は、まったく叶えられてません。
 
まじめに教会通いをして、教会制度を守れば、
キリストが恵んでくれると期待しましたが、これも空振りでした。
空振りどころか、かえって心身ストレスが増える始末。
(教会員の誰それではなく、教会制度、規約、慣習、慣例がストレス)
 
 
キリストにお従いして生きることと、
人生を思い通りにすることとは、
まったく違うんだよ。
 
ということを、私が心底から理解できるように、
神様が徹底してエゴの願望を砕いてくださってるのだなあと、
最近おぼろげにわかってきた次第。
 
今後も、なりすましのブリっこに釣られないよう、
神様に聞きながら、注意深く歩んでいきたいです。
 

 
 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 

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