先週、歯医者さんで定期健診&歯石取りをしてもらいました。

 

私はめっちゃ歯並びが悪くて、虫歯リスクが高いんで、

半年に一回は歯医者さんに健診にいきます。

 

今回、歯医者さんの目視では虫歯ゼロでした。

 

しかしレントゲンでは……あらら、残念。

奥歯の根元に虫歯が映ってる。

完全に、歯茎に埋もれてる部分です。

 

 

親知らずが横向きに生えてる箇所の下です。

歯茎に埋もれてる部分にも虫歯ができるんだと驚きました。

(いらすとやさんに横向き親知らずのイラストがあることにも驚きました)

 

この虫歯は、歯医者さんも手出しができない、治療不可。

なので、いずれ虫歯が進行して、神経が痛みだしたら抜歯ですねと。

 

そーですか。

人の目には見えない、触れることができない場所にも、

虫歯菌は入りこんでしまうんですね。

 

虫歯の説明を受けた後、歯石を取ってもらいながら、

私は詩編19編の言葉を思い出しました。

 

 知らずに犯した過ち、隠れた罪から

 どうかわたしを清めてください。

 

 ――旧約聖書 『詩編』 19編14節

 

今回の虫歯は、まさしく「隠れた罪」って感じやなと。

 

神に対する罪も、虫歯も、なかなか自覚できないんだよね。

しかも人間の自力で治せるものでもない。

罪も虫歯も自然治癒しません。

 

聖書の「罪」という言葉を「虫歯」に置きかえたら、

なんかすごく心に刺さるなーとも思いました。

 

たとえば、新約聖書の『ヨハネの手紙 一』ならこうなる。

 

 自分に(虫歯)がないと言うなら、

 自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。

 

 自分の(虫歯)を公に言い表すなら、

 神は真実で正しい方ですから、

 (虫歯)を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

 

 罪を犯したことがない(虫歯がない)と言うなら、

 それは神を偽り者とすることであり、

 神の言葉はわたしたちの内にありません。

 

 ――新約聖書 『ヨハネの手紙 一』 1章8-10節

 

他の聖書個所も、「罪」を「虫歯」と読んだら、おもしろい発見があるかもですね(笑)

 

私は毎日丁寧に罪を清めている(歯磨きをしている)。

しかし「私には罪がない」と思っていても、

神の目(レントゲン)には、隠れた罪(虫歯)がはっきり映っている。

 

ババンバ バン バン バン 歯磨けよ(^^♪

 

うん、磨いてるよ。

 

毎晩、2種類の歯ブラシ、フロス、歯間ブラシで丁寧に歯磨きをしています。

それでも、歯ブラシの届かぬところにいる虫歯菌には、まったく無力です。

 

 

私の虫歯のように、

人間には隠れている罪、わかっていても手出しができない過ちがある。

人間は罪に対して、無力なのです。

 

イエス・キリストは、そういう隠れた罪から私たちを救ってくれる神の子です。

 

 医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。

 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、

 罪人を招いて悔い改めさせるためである。

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 5章31、32節

 

自分の身体といえども、

私たちは、身体の状態を完璧に正しく把握することができないと認めましょう。

身体も、歯も、定期的にお医者さんに診てもらいましょう。

 (関連) 健康な人にも医者は要る

 

そして、魂の健診は、毎日です。

毎日、毎分、毎秒、

神様の前に、自分をつつみ隠さずさらけだす。

基本的に、それは「祈り」をとおしてなされると思います。

 

「祈り」は、神様にクレクレちょーだいと、

一方的なおねだり攻撃をすることではないです。

 

私の「祈り」は、神様との心のキャッチボールというか、一問一答というか。

こちらの言いたいことを言った分だけ、

神様からの答えを黙って静かに聞きます。

すぐに答えがないこともしょっちゅうですが。

とにかく、そういう神様とのコミュニケーションが、「祈り」です。

 

そういう祈りをとおして、隠れた罪があらわになることもある。

人目にはまったく問題ない、むしろ善いことであっても、

神様のレントゲンには黒く映ってることだってある。


歯医者さんは、虫歯を防ぐアドバイスをしてくれました。

 

・ フッ素濃度の高い歯磨き粉を使う

・ 甘いものはできるだけ控える

 

歯医者さんは、虫歯を作った私を責めてるんじゃないですよね。

同じパターンの虫歯を作らないように、私のために、アドバイスしてくれている。

 

神様が、私たちの罪を指摘する(罪に気づかせてくれる)のも、きっと同じことです。

 

人間が自覚できない、隠れた罪を見つけて癒してくれるのが、まことの神です。

隠れた罪を暴いて糾弾して責めて罰をくだす……のは神ではありません。

罪を指摘して、同じ過ちをおかさないように導き、清めてくれるのが神です。

 

隠れた罪が、私たちの魂をむしばんでしまうことのないように、

同じ過ちを繰り返さないために。

神様の正しい道に立ち返るようにと諭してくれる。

 

歯医者さんのアドバイスを実行するかしないかは、自分次第です。

自分の罪を認めて、神の道に立ち返るかどうかも同様。

 

「私には虫歯がある」という事実を認めれば、治療してもらえる。

「私には虫歯がない」といって歯医者さんに行かなければ、治療してもらえない。

 

罪の赦しと救いも、たぶん同じ。

「私には罪がある」と認めること(認罪)が必要。

罪の自覚があるから、神様に救いを求めることができる。

そして神のもとへ立ち返り、救いと導きをえられる。

 (参考) 【マタイ27章】 選択には責任が伴う … 裏切り者のユダより悪質な群衆(レギオン)

 

 

大人でも、歯医者さんに行くのを怖がる、嫌がる人は少なくないですね。

私も正直、あまり行きたくはない。

 

たぶん、自分の口を大きく開いて見せるのは、

無防備な自分をさらけだすことになるから、それが嫌なんだと思う。

喉元は急所ですしね。

 

でも、歯医者さんにも、神様にも、

やっぱり大きく口を開けて見せた方がいいですね。

 

 わたしは口を大きく開き、渇望しています。

 あなたの戒めを慕い求めます。

 

 ――旧約聖書 『詩編』 119編 131節

 

古代ユダヤ人も、神様に大きく口を開いて、

罪の治療(戒め)を求めていたようです。

罪も虫歯も、放置すると、ひどくなる一方ですからね。

 

私の虫歯は、残念ながら治療不可ですが、

それでも現状を正しく把握できたのは本当にありがたい。

 

虫歯が神経に届くまで、あと1ミリぐらいだと言われました。

1ミリの歯が、私を守ってくれている。

 

やがて1ミリの壁を突破されたら、歯が痛くなるから、

そしたら歯医者さんの予約を取って、抜歯してもらえばよし。

 

治療はできなくても、今後の展開がわかっているから安心。

これもまた、神の救いの一形態だと思いました。

 

そして神様は、罪を清めて救ってくださるだけの御方ではない。

 

 わたしが、あなたの神、主。

 あなたをエジプトの地から導き上った神。

 口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

 

 ――旧約聖書 『詩編』 81編11節

 

神様は、私たちの口を、善きもので満たしてくれる御方です。

 

罪を清める = マイナスをゼロにしてくれるだけでなく、

さらにプラスのもので満たしてくださるという。

 

善きものとは……神の御言葉、命のパンであるイエス・キリスト。

命のパンは、どれだけ食べても虫歯にはならない。

 

アルハムドリッラー。

私たちを満たしてくださる神を称えて、感謝いたします。

 

 
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
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