■前回に少しふれたヤマタノオロチ(八岐大蛇)は、出雲の地に棲息していた。  
ヤマタノオロチは、クシナダヒメを生贄として要求していたが、
最終的にスサノヲによって退治され、クシナダヒメはスサノヲの妻となった。

このときスサノヲが詠んだとされる和歌は、日本最古の和歌だそうだ。
そして日ユ同祖論の有力な根拠の一つでもある。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


この和歌は、旧約聖書・新約聖書の内容を理解するためにも、たいへん重要な内容を含んでいる。

以下、日ユ同祖論の受け売り解説ではなく、私自身が感得するなり気づくなりして、
今の私が個人的に納得していることをシェアしていく。
有名な説・有力説であっても、私にわからないこと、確かめられないことは省略。

(私は日ユ同祖論マニアではないし、どの説が主流なのかもわからない。
 自分でなるほどと納得できる部分だけを信じて受け入れている。)

■この和歌の本当の意味を、3つの角度から追っていきたいと思う。
一回では書ききれないので、今回は12だけ。3は次回以降に。

1 八雲立つ出雲 …… 神(ヤー)の雲が立つ、雲の柱

2 出雲八重垣 …… 神(ヤハウェ)の垣、会見の幕屋に雲が降りる

3 妻籠みに …… 神の宝の民、(キリストの花嫁)、(聖霊の宮である身体)


旧約聖書とくに出エジプト記~申命記の内容を知っている人なら、
これらのキーワードだけですぐにピンと来ると思う。

でも、よほど熱心な宗教者か聖書マニアでもない限り、
ほとんどの人は旧約聖書を読んだりはしないと思うので、
ここでは関連する聖書個所を引用しつつ、一から説明をしていく。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


この歌の現代語訳として、私の手元の古語辞典には二つの解釈例が載っている。

「出雲」を地名と解釈するか、実際にわき出た雲と解釈するかで、意味が違ってくる。

【A】 出雲を地名とした場合

 出雲国の(我が家の周囲に)幾重にもめぐらした垣根を作る。
 (その中へ)妻を住ませるために八重垣を作るのだ。その八重垣よ。


【B】 出雲を雲とした場合

 雲がわき出て(我が家の周囲に)幾重にもめぐらした垣根を作る。
 (その中へ)妻を住ませるために雲が八重垣を作るのだ。その八重垣よ。


学校の授業なら、【A】のみを正解とするかと思う。
天空の城ラピュタじゃあるまいし、雲が家の周りを囲むという情景【B】は不自然だから。

しかし日ユ同祖論を肯定するなら、正解はもちろん【B】。

日本の古語で漢数字の八(読みは「ヤ」)が出てきたら、それは「たくさん」という意味だが、
日ユ同祖論ではヘブライ語の「ヤー/神」も掛けていると解釈する。

同様に、「八重・ヤヘ」は「YHWH/ヤハウェ」のことだと解釈する。
ヤハウェは旧約聖書に書かれている天地創造の神のこと。

だから「八雲立つ」は、「ヤー(神)の雲が立つ」であり、
「出雲八重垣」は、「雲が出る、ヤハウェの垣」である。

■これは旧約聖書の『出エジプト記』に由来する。

今から3300年ほど前だといわれているが、当時のイスラエルの民(=ユダヤ人)は、
エジプトで奴隷としてこき使われる生活を送っていた。

神はその奴隷生活からイスラエルの民を救い出して、
約束の地(現代のイスラエル・パレスチナ)へと連れてゆくため、
モーセを指導者として任命し、全員をエジプトから脱出させる。

エジプト脱出後、シナイ山で十戒の石版を授かったり、いろいろしながら、
約40年も荒野を旅した後に、約束の地へたどりつく。

その一連の行程を「出エジプト」という。

出エジプトの際、モーセが紅海を真っ二つに割って、人々がそこを歩いて渡ったという話は、
たぶん誰でも聞いたことがあると思う。

海を割るというアクションが派手すぎて、ついついそちらにばかり注意が向いてしまうが、
出エジプトで重要なのは、モーセが海を割ったことよりも、
神が雲の柱と火の柱によってモーセたちを導き、諸々の奇跡を起こしたことである。

 主は彼らに先立って進み、
 昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、
 彼らは昼も夜も行進することができた。

 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

 ――旧約聖書 『出エジプト記』 13章21、22節


モーセの超能力や、人間的な判断をもとに出エジプトの旅が進んだのではない。
神が立てた雲の柱と火の柱に導かれたのだ。
この事実を知らなかった人は、ぜひこの機会に、この場で覚えてほしい。

「雲の柱、火の柱」

それを覚えたら、次に、紅海を割るに至る経緯を見てみよう。

『出エジプト記』の14章。

エジプトを出たイスラエルの民の背後から、エジプト軍が追ってくる。
しかし紅海に阻まれてこれ以上進めない、大ピンチ。

そこで……

 イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、
 移動して彼らの後ろを行き、
 彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、
 エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。

 真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。
 両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。

 モーセが手を海に向かって差し伸べると、
 主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、
 海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、
 水は彼らの右と左に壁のようになった。

 エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵が
 ことごとく彼らに従って海の中に入って来た。

 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。
 戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。

 エジプト人は言った。
 「イスラエルの前から退却しよう。
 主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
 
 ――『出エジプト記』 14章19-25節


海を割る前には、雲の柱がイスラエルの民の後ろについて、防御壁の役割をはたしている。
海を割った後にも、雲と火の柱から神がエジプト軍の後始末をしている。
この後、紅海は元に戻り、追手のエジプト軍は紅海にのまれて全滅した。

八雲立つ出雲は、この雲の柱のこと。

■次に、「出雲八重垣/ヤハウェ垣」について。

これも出エジプト、紅海を渡った後の話に由来する。
「会見の幕屋」に雲の柱がおりた様子のことである。

紅海を渡ったイスラエルの民は、やがてシナイ山に到着し、
モーセはシナイ山で十戒をはじめとする諸々の律法をヤハウェから授かる。(出エジプト20章~)

いわゆるモーセの十戒は、モーセが造った戒律ではなく、神から授かったもの。

そしてシナイ山では十戒だけでなく、いわゆる聖櫃・アークと呼ばれる「契約の箱」の設計や、
「会見の幕屋」という遊牧民テント式の仮設神社の建て方なども教わる。
「会見の幕屋」に、十戒の石版などを納めた「契約の箱」を安置するのだ。

「契約の箱」が一つしかないのだから、「会見の幕屋」も一つだけである。
神を祀る祠をあちこちに造るということはしなかった。

彼らは遊牧民なので、移動のたびに「会見の幕屋」を解体して持ち運び、
新しいキャンプ地でまた「会見の幕屋」を組み立てることになる。

「会見の幕屋」は、神が人と語る場所である。
英語訳では「tent of meeting」となっている。
神と人とのミーティング場所なのだ。

ただ、当時の「会見の幕屋」は、今日の神社のように千客万来ではない。
モーセをはじめとする、ごく一部の神に指名された人々だけが近づくことを許されていた。
許可なく近づいた人は死んでしまう。

この時代、神とまともにミーティングできたのはモーセだけである。
イスラエルの民の霊性が、全体的に幼稚だったからではないかと思う。

会見の幕屋が霊的な意味で万人に解放され、個人レベルで神と交われるようになるのは、
モーセの時代から1300年後。
イエスキリストの十字架の死と復活がそのきっかけとなる。
しかしその詳細はまた別の機会に。

モーセ監督のもとで「会見の幕屋」が完成したのは、
イスラエルの民がエジプトを出た1年後の元日だった。

 第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。(出エジプト/40章17節)

「会見の幕屋」完成時の様子と、雲の柱についてはこう記されている。

 ……このようにしてモーセはその工事を終えた。

 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
 モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。
 雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。

 
 雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。
 彼らはその旅路において常にそうした。
 しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。

 すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、
 昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。

 彼らの旅路において常にそうであった。

 ――『出エジプト』 40章33-38節


そういうわけで、「出雲八重垣」は、
「会見の幕屋に雲が降りて神がとどまっている状態」ということになる。

「八雲立つ」のときには出発する。
八雲立たないとき、すなわち「出雲ヤハウェ垣」のときには、その地でキャンプを続ける。

行くもとどまるも、ヤー(神)雲の導きのままに。

■出エジプトに限らず、聖書全編をとおして、神と雲は密接なつながりがある。

雲が何を意味するのか、解釈はいろいろあるんだろうけど、
私が思い当たるのはだいたいこのあたり。

【1】 ノアの箱舟と契約の虹

【2】 高い山の上でイエスの姿が変貌し、雲の中から神の声がする

【3】 終末の日に、人の子が天の雲に乗って来る(キリスト再臨)

深刻な悩みで心が曇っているとき、五里霧中のとき、
雲に囲まれたように将来への視界がきかないとき。
神へ心が向いて、真剣に神に助けと導きを求めるのは、そういうときだ。

心がすかっと快晴でハレルヤな時には、神に感謝していても、
神を呼ぶ真剣さにはちょっと欠けてしまう。

心がハレルヤというのは駄洒落ではない。
ハレル・ヤーは、ヘブライ語で「神を賛美せよ」という意味で、
日本語の「ハレ、晴れ」の語源ではないかという説がある。
私もそう思っている。

ハレルヤと浮かれている時は、自分の喜びに集中して神の存在を忘れることも少なくない。
これは自分の運だ実力だと思い上がって神を忘れることも少なくない。

神道の祭日はハレの日とされ、普段着(ケギ)ではなく晴れ着(ハレギ)で装うが、
実際には心がハレルヤの日に、神の声を聞くのは困難だ。

神の導きを真剣に願い求めるのは、
ハレルヤの日ではなく、悩みの雲に囲まれてしまった日なのである。
悩みの雲の中でひとりぼっちのときに、神と密に語りあうことができる。


その意味で聖書でも、神は雲の中に顕れる系の記述が多いのではないかと、私は思っている。

出エジプトを導いた雲の柱は、神の偉大さだけでなく、
イスラエルの民に蓄積された悩み苦しみの大きさをも表しているのかもしれない。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


■神と雲についての上記三カ所、それぞれ聖書個所を引用しながら、かんたんに解説。

……と思ったけど、ここまででだいぶ長文になってしまったし、
大事な内容なので、やっぱり次回に。
 →八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲

そのかわり、豆知識を。

モーセ十戒の3番目にこうある。

 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
 主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないではおかないであろう。

 ――『出エジプト記』 20章7節


ということで、ユダヤ人はヤハウェ「YHWH」を神聖四文字(テトラグラマトン)として、
それをみだりに発音することをせず、「アドナイ/主」と読み替えることにしたという。
日本語聖書では「主」と訳されている。

そのため、YHWHの正確な発音はわからないそうだ。
たぶん ヤハウェ または ヤーウェ あたりであろうということになっている。

「出雲八重垣」の八重はヤハウェのことだけど、
「八重/たくさん」という意味で表記しているから、みだりに神の名を呼んでないからセーフ!
と古代人が思ったかどうかはわからない。

■ああ、そうだ、「会見の幕屋」という表記についても。

私が参照している日本語聖書は、新共同訳と、口語訳の2種類。

「会見の幕屋」は口語訳の表現。
新共同訳では「臨在の幕屋」となっている。

私は「会見の幕屋」の方がいい訳だと思う。
神と人が会見している感がするから。

「臨在の幕屋」だと、神がぼーっと臨在しているだけ(笑)という印象で、
人と会見してくれる神、悩める時のいと近き助けである神をイメージしづらい。

でも、今回引用した『出エジプト記』の紅海を割るシーンは新共同訳から。
初心者には、小見出し付きの新共同訳の方が見やすいと思う。

今後も、新共同訳と口語訳、適宜わかりやすい方を選んで引用していくつもり。
内容的にはどっちもどっちというか、ある場面では新共同訳がわかりやすいし、
別の場面では口語訳がわかりやすい……という感じやなあ。



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こんな画像を見つけてしまった。


http://info.felissimo.co.jp/youmore/dojo/2016/07/15.html
世の中には、いろんなことを考えつく人がいるもんだ……(@ ̄Д ̄@;)




次回に続く → 八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲



※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』


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以下追記 2022年12月16日

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