音に導かれて | MISAO『今ここにある至福の音』

MISAO『今ここにある至福の音』

日々訪れている、たくさんの奇跡に感謝と祝福を♪

昨日ブログで名前を変えることをお伝えしました。

急速な変化


今日はそこに至った今の思いやMISAOを応援してくださった皆様に感謝を伝えたいと思います。


MISAOという名前でソロ活動をしていこうと決めたのが4年ほど前。


きっかけは2ndアルバムを制作することを決めた時、美佐緒という名前は一生変わらないからアルファベットでMISAOと名乗ることにしたのでした。



この4年間MISAOという名前で本当にたくさん音楽活動をさせて頂きました。


多くの方々と出会い、コンサートやCDなどで直接的、間接的に音楽を通して日本のみならず、海外の方とも互いの世界に触れ合えたことが、本当に幸せなことだと思っています。


ソロ活動の他にも素晴らしいアーティスト達と共演をしたり、
タイやアフリカなどでも活動させて頂いたり。
応援してくださった皆様には、今でも感謝しております。


タイ、チェンライの孤児院の子供達や学校で弾かせて頂きました♪
元気かな。


MISAOというある意味で芸名を名乗っていたけれど(芸名を名乗ることで、そのエネルギーを生きることになるから、芸名を否定している訳ではないですよ♪)


私の場合はMISAOと名乗ることで、
どこかで無意識にいつも他の何者かになろうとしていたと思うし、根底には満たされない感覚があったのだと思う。


ここと向き合ってきた4年間だった気がする。


社会を営む上で何者であるかと提議するのは、
必要なことでもあるし、
それがあるから関係性が成り立っていくし、
様々なキャラクターを生きるのは楽しいものです。


でも、
今回私が感じたのは
もっと根本的な感覚の世界の話。




芸術を愛する者として観れば、
この満たされないという感覚は、
実は使い方により芸を磨くためのとてつもない原動力となります。


技術もセンスも一気に飛躍する。


だから、
私はその「満たされない」という感覚も大切に持ち合わせていたいと思うのです。


私はこの感覚が芸術的な精度を高めると、
本当は知っていたんだ。


でも、
人としては辛いし苦しい感覚でもある。


だから何とか楽になりたくて、
様々な世界を見てきたけれど、
最終的には受け入れるしかないんだと気づいた。



この葛藤はきついのだけど、
これも私の個性だと受け入れて、
天が私に美しいと感じる音を奏でるために与えてくれたギフトだと思って、
音楽や芸術のために使っていこうと思います。



でもね、不思議なんだけど今はもう
土台は「満たされている」なのです。


受け入れたからかな。


でも満たされないという感覚や葛藤は消える訳ではないです。


満たされている前提で、
満たされていない感覚を使うというか…


感覚というものは、
沸き起こってしまうものだから、
そのまま受け入れていくしかないのです。


上手く表現出来ないけど、
あらゆる感覚は、やっぱりギフトなんだなって思う。


人には、それぞれ反応するポイントが違うし、
自分なりの美学があるものです。


これから私は
わたしのままで音楽を志したくなった。


だから細谷美佐緒という何者でもないままで
活動したくなったんだな。
(ある意味、細谷美佐緒という者なんだけど、笑
そして、また名乗りたい名前が降りてきた時には、その私を名乗って生きていくと思う。)



最近、
この世界に誕生して、
最初に音に導かれた時の感覚を思い出すことがある。


その時の名前が細谷美佐緒。


わたしの今の人生には生まれた時からいつもいつもヴァイオリンが共にあり、音楽がある。



音を動かす原動力、
それは
わたしを動かすものなんだ。


これから先も、
どんな素敵な方々との出会いがあるのだろう♪

以前にも増して、
音楽で互いの世界に触れ合いたい気持ちは溢れています。


わたしのままで
静かな情熱を秘めながら、
音に導かれていこうと思います。


全てを委ねて。

ありがとう。