そのきっかけは2015年9月に遡ります。
それは歌の発表会。
私の突き抜け感が凄かった。
今までの限界を越えた、と感じました。
けれど10月になってみたら、上に蓋があるのを感じたんです。
これ以上は突き抜けられない、かぶせられてる感覚。
「あまり幸せ過ぎると、怖いじゃない?
だからこの辺でいいよ、
何かあっても、この辺で十分幸せじゃない?」
何かあっても、この辺で十分幸せじゃない?」
みたいな感覚。
確かにほどほど波風立たなくなって幸せでした。
でも11月になって、その蓋がどうしても嫌で、相談したんです。
「蓋がある。それ以上行けない。どうすればいい?」
その相手が、さいとうゆりさんでした。
その相手が、さいとうゆりさんでした。
ゆりさんはその整体の施術中に
「上に聞いてみますね」
とシータヒーリング。
「マジか!?」
と驚きの声を発した後に言われたのが
「アメリカに行く。出来るだけ長く」
でした。
11月の私はその場で
「無理」
泣きました。
「アメリカに行く。出来るだけ長く」
でした。
11月の私はその場で
「無理」
泣きました。
怖くて怖くて。
英語出来ない、
会社を休むなんて怖い
何をしに行くのかもわからない。
・・・ただ
「問題がなかったらどうしたい?」
と自分に問いかける声。
「英語が出来たら海外で暮らしてみたい」
は過去に葬った夢の一つでした。
12月に入るくらい、かな。
「・・・・行くんだろうな」
という感覚になってました。
なんでかよくわからない。
でも、私は行く気がする。
そこから。
英語出来ない、
会社を休むなんて怖い
何をしに行くのかもわからない。
・・・ただ
「問題がなかったらどうしたい?」
と自分に問いかける声。
「英語が出来たら海外で暮らしてみたい」
は過去に葬った夢の一つでした。
12月に入るくらい、かな。
「・・・・行くんだろうな」
という感覚になってました。
なんでかよくわからない。
でも、私は行く気がする。
そこから。
その、「幸せの上限の蓋がある私」から、
その蓋を壊すだけの日常生活を重ねて重ねて、
7か月。
先日、渡米前の最後の施術を受けました。
「よく頑張ったね」
この期間の私が向き合ってきたものを
体を通して知っているゆりさんからの言葉は
涙が出るほど嬉しかったです。
アメリカに行って、
私は一度完全に壊れると思います。
何故なら、理由は簡単。
壊れに行くから。
生きてくるのに身に付けた処世術、
日本でのやり方、それを全部完全粉砕してしまいたい。
見守ってくださって、ありがとうございました。
行ってきます。