*本稿はあくまで個人の戯言です。
*本稿の筆者は、「羽が無い・目が見えない」虫に、わざわざ若い環境活動家の名前を命名するブリテン人のセンスを目標に、日々駄文を書いております(笑)。

前回のお話はこちら。
「自学のススメ」を書くにあたり、「自学」「独学」をどう定義するのがいいか、いろいろ考えてみました。辞書的には「自学」vs「従学」のようですが、その区分は白黒はっきり分かれるものではなく、グラデーションがついたものです。

そこで、「勉学」を「食事」に、「自学」を「自炊」に例えるアナロジーを考えてみました。「勉学の機会・手段を提供する組織・団体」「喫食の機会を提供する組織・団体」に例えてみると、「自炊」もとい「自学」が何であるか、考えやすいような気がします。

便宜上、食事の目的を次のように定義します。
・一定期間内に、食事から必要な栄養素を得る必要がある。
・必要な栄養素を摂れていれば、食事の総量は問わない。



一般的な学校
学校給食。目的は「餓死の防止」「基本栄養素の欠乏による重篤な症状の抑制」。栄養バランスは悪くないが、調理人と味はバラツキが大きい。行政の支援があるのでかなりの低価格に抑えてあるが、それでも文句を言う輩も多い。社会福祉の一部なので、文句を言うのはお門違い。「食えるだけありがたい」という感謝の精神が必要。

面倒見の良い学校
通常の学校給食に飽き足らず、おやつなど間食も充実、家で食べる持ち帰り弁当も支給する。場合によってはモーニングサービスもある。持ち帰り弁当を食べないと叱責されるので、客が自分で食べる物を選ぶ機会は少ない。法律で定める「必ず提供しなければならない栄養素」を省いたインチキな食事を出す組織もある。

受験少年院
上記の「面倒見の良い学校」に、食事の監視員がつく。三食とも給食の上、おやつ、夜食も支給される場合もある。基本的に大食漢であることを求められる。食べ残し厳禁でフードロス削減には貢献しているが、やっていることはブロイラー飼育とあまり差がなかったりする。

自由な学校
手の込んだ料理のレシピは教えてくれるが、食べられる物は出てこない「料理教室」。料理教室に来ていることを理解している生徒は、習ったレシピを更にアレンジして栄養価の高い料理を自分で作って食べるが、そうでない多くの生徒は「食べる物が出てこない」と文句を言って、「街のレストラン」に出かける。だからそこは飲食店じゃなくて料理教室だって。

大手塾、予備校
街のレストラン。それなりに美味しい料理を出してくれて、持ち帰り用の弁当も出してくれる。客が確実に必要な栄養素を摂れるように、持ち帰り弁当を重箱仕様で出してくれるお店が最近の人気だが、家で重箱弁当を食べきれず、学校給食の時間に持ち込んで食べたり、食べ切れず吐く客も多い。「受験少年院」の「ブロイラー飼育」を自発的に実行できるドMの玄人向け。

地元塾
地元の定食屋。地元の素材を使ってリーゾナブルな価格で食事を提供してくれることも多いが、メニュー、味、分量は店主の趣味。実は大手レストランは、経営拡大に成功した元「地元の定食屋」がほとんど。店主は頑固な場合が多い気がする…

通信教育
大手コンビニのコンビニ弁当の配達サービス。弁当自体は規格品なので品質は安定している。最近は、客に合わせて配達する弁当を替えるサービスもある。食べたかどうか監視されることがほとんどなので、フードロスが積み上がり自然環境に悪い。食べられる分だけ注文しましょう。

こう書いてくると、「自学」や「独学」がうまく定義できるように思います。

自学
自分の食べるものを自分で調理する「自炊」。レシピ本を読んで料理の作り方を理解し、給食で食べたものを参考にしながら、自分に必要な栄養素が賄えるようメニューを考え、食材を買い、必要な量を自分で調理して食べる。献立作りや調理法が分からない時は、栄養士や調理士に聞けばいいし、自分のニーズにマッチすればコンビニ弁当もあり。

独学
言ってみれば「100%自炊」。買ってくるものは、レシピ本と食材くらいで、あとはレシピ本の理解と試行錯誤で自分の食生活を創造する。



「自学」を食事に例えると、「自発的な意志と行動で自分の食生活を作る」と言えるでしょうか。ネガティブな書き方をすると「喫食サービスで出されたものを食べるだけの食生活の否定」と言いましょうか。

次のお話



P.S.
このアナロジーで書くと「大食漢」「早食い」自慢が横行する世の中を、自分は憂えています。また「ブロイラー飼育」から卒業したのに、料理の作り方が分からない、何を食べたらいいか分からない、という本末転倒な状態になる場合があるのも、古くからある問題です。量や速さを競うフードファイトではないのですがね…