うーたんパパさんの影響力もあって(笑)、大好評の地頭シャッフルシリーズの補遺です。

自分が最近読んだ本:「運は遺伝する」(橘玲・安藤寿康著、NHK出版新書、2023年)がなかなか示唆に富む内容が多く、地頭シャッフルの補遺を書きたくなりました(笑)。

地頭シャッフル その3はこちら


努力の先にある、才能勝負の世界

一昔前のオリンピック(確かロンドン)の女子マラソンの中継の時に、かつて一世を風靡した日本の女子マラソンが勢いを失った理由を、アナウンサーが解説者に尋ねている場面がありました。その時の解説はなかなかに核心をつく内容でした。

以前は、アフリカ人選手は粗削りな練習をしている選手が多かった。だから(身体能力で劣る)日本人選手が科学的トレーニングをすることで、彼らに勝つこともできた。今はアフリカ人選手も科学的トレーニングをするようになって、日本人選手は同じレベルでは戦えなくなった。

解説者が語った言葉は違いますが、主旨としてはこのように解説していました。他の選手より優れた練習をしているうちは優位に立てるが、誰もが同じレベルの練習をするようになると、才能(この場合は身体能力)を問われるようになる、という意味です。

今回読んだ「運は遺伝する」の中で、学業についても同じようなことが書かれていて(第2章:知能はいかに遺伝するのか)、ざっくりと要約すると

・教育制度が不充分な社会においては、大学進学などの教育達成度は遺伝要素よりも環境要素の方が大きい
・教育制度が充実し、社会の誰もが教育にアクセスできるようになると、教育達成度は遺伝要素が優位になる

という、上記のマラソンの学業版のようなことが書かれていました。教育を受けられる人間と受けられない人間がいる環境では、教育を受けられる人間が優位に立てる(環境要素優位)が、誰もが教育を受けられる環境になると、環境の優位性が減少し、個人の能力差が結果に反映されやすくなる(遺伝要素優位)と考えることができます。

これは「他者がやっていない時に先行して始める」、早期教育や先取り教育(そして早熟であるがゆえにできる状態)にも言えることで、自分が「地頭シャッフル その3」で主張したことでもあります。


国立大学への進学を主軸に据える私立の中高一貫校や、大学受験塾など、先取り教育が花盛りです。この先取り教育の目的は、それぞれの生徒の学力ピークを「高3の3学期よりも前」に持ってくること、つまり高3受験時に「もう少し時間があれば合格できた」という状態に陥るのを防ぎ、大学浪人を回避することにあります。
別の言い方をすると、高3までに「伸びしろ」を使い切り「やり切った」状態にする為、浪人による学力向上は期待できなくなります。また、残念ながら「ピークの高さ(各人の限界点)を上げること」には寄与しません。ここに「地頭の限界点」が見えてしまいます。
(地頭シャッフル その3より引用)


誰もが同じレベルの効率的な努力・訓練をするようになると、そこから先は個人の能力・才能勝負になってきます。先取り学習は「他の生徒が効率的な練習をするまで」の優位性を提供し、限界まで能力を引き出すことはできても、先天的な能力の限界点を引き上げる効果はありません。
先取り学習しようが、どれだけ努力しようが、誰にでも「超えられない限界」は存在します。そして凡人の「限界」は、先取り学習や努力の対価としての期待に応えられるほど高くない、とも言えます。

先取り学習はそういうものだと割り切ることができ、能力の限界まで出し切って勝てないのなら仕方がない、と納得できる人はいいのですが、そうでない人もいます。



先取り教育の問題点

「地頭シャッフル その3」に自分があっさり書いたことがあります。

地頭の限界点がどこにあるかは「やってみないとわからない」のですが、限界点が来た時の「プライドの置き所」は自分で落としどころ見つける必要があります。(地頭シャッフル その3より引用)

先取り教育の効果として、当初は勉強していない生徒より優位に立てます。問題はその先で、「地頭の限界」「能力の限界」が高くなかった場合、後発で始めた「地頭・能力に優れた生徒」にいずれ抜かれていくことになります。
その時に、素直に相手の能力を認めることができるメンタリティならいいのですが、そうでない場合はその後の人生で劣等感を抱えて生きていくことになります。

・昔はあいつより自分の方ができた
・後から始めたのにずるい
・兄より優れた弟など存在しない
(北斗の拳、ジャギ)

こういう劣等感は、かつて自分が上位にいた時に称賛されたことの裏返しであるように思います。このような観点から「先取り教育や早熟であるが故に他者より一時的にできる状態」を自分の実力だと過信したり、そのように過信させる周囲の大人の言動は害悪であるといえます。

「地頭シャッフル その3」の結論として書いたことは、早期教育や先取り教育の効果が出ているように見える時に、本人や周囲の人間が浮かれることへの警鐘でもあります。


本稿の結論としては、

今の成績•成長率が今後も継続するとは考えない方が良い

でしょうか。良い方にも悪い方にも振れます。卑屈になることも慢心することもなければ、人生としてそうそう失敗はしないのではないか、と思います。(地頭シャッフル その3より引用)


誰にでも、どんな能力にも、限界点があります。そして、現時点で他者より先行していることは、その能力の限界点が高いことを保証しません。それが分かっていれば謙虚にもなれるし、プライドの置き場所を見つけられない人間にはならないのではないか、と思います。