理科に続き、中学高校で数学ができなくなる現象の考察です。

理科編

こちらも、定型文を入れておきます(笑)。

以下の文章は「あくまでも個人の感想」です。

こんなことかな~と自分が考えていることから。

1⃣小学校の「具体的な数字を扱う算数」から、中学校の「抽象的な概念を扱う数学」へ、頭が切り替えられない
2⃣「理解できていないけど『問題の解き方』を使えるようになる」という勉強のやり方から脱皮できない

1⃣抽象的な思考ができない
小学校で方程式を扱わない、おそらく最大の理由が「抽象的な思考能力が未発達」だからだと思います。中学生になったらそろそろ抽象的な考え方もできるよね、ということで今までの「具体的な対象物がイメージできる世界」を「抽象的な数式として表記し、操作する」に変えていきましょう、というのが中学校の数学だと思います。
言葉にすればこれだけですが、この抽象化ができない、というのがあるように思います。年齢が上がれば抽象的思考力は向上しますが、その年齢で前提とされるレベルに至っていないと、数学はつらいと思います。年齢で輪切りにして発達度や習熟度を加味しない教育制度の弊害といえるかもしれません。

2⃣「理解せずに道具を使っている」ことの限界が出てくる
小学校で算数ができて中高で少しずつできなくなるのは、こっちなのかな、と思います。
算数も数学も「理解してないけど問題が解ける」状態は可能です。「本質的な部分の理解」はおざなりにしても「問題の解き方に習熟する」訓練をすれば、問題を解けるようになります。
せっかく私立中高の数学の教員が知恵を絞って「脳ミソを使って考える入試問題」を作っても、翌年の入試までに、塾が「小学生でも使える解法」を編み出して対策します。
器用な生徒は、この「他人が考えた解法」を使えるようになるだけで中学受験は捌けますし、中学に入っても同じやり方で当面はボロを出さずになんとかできます。
さすがに高校の内容をこれで対処しようとすると「解法を身に付ける作業」が膨大になり、普通の人間では破綻する、自分はそんな風に考えています。

1⃣は正直、どうすればいいのか自分にはわかりませんが、2⃣はなんとなく対処法がありそうな気がします。

最初から理屈を全部理解するのは、なかなか困難なことです。そこで、先に「理解はできていないけど解き方は分かる」状態にした上で、もう一度「なぜその解き方をするのか」に立ち返って考えてみればよいのではないか、と思います。つまり

①とりあえず理屈を勉強する
②(理屈が理解できてなくても)先に問題の解き方を身に付ける
③ある程度解き方が身に付いた状態で、もう一度①「理屈の理解」にトライする

③をすることで②を維持するコストを減らすとともに、①のレベルアップが図ることができる、と考えます。ポイントは②の解き方を単発のスキル・手法として保持するのではなく、理解して、もっというと自分の頭で意味を考えて②を結合・共通化する感じです。

「自家用車は左側通行」「バスは左側通行」「バイクは左側通行」という個々のルールを学んだ後に、「車両は左側通行」という「車両に共通するルール」を認識・理解することで、広い範囲の個々の事象(乗り物に乗る時に車道のどちらを通行するか)に対応できます。「共通のルール」を認識しないと、新たな乗り物が登場するたびに、個々にルールを覚えることになります。

和田秀樹氏の言っている「暗記数学」は、とりあえず①で立ち止まらず②に進め、②をやっているうちに自然に③ができるから、という意味なのかな、と自分は考えています。
(下手の考え休むに似たり、で凡人が最初から①に時間をかけてもあまり意味ないという意味も込めて)

結論(?)
「解法を沢山使えること」で止まらずに、その解法の意味を自分の頭で考えて、理解し深化させましょう。とりあえず「数学は解法を覚える『だけ』の科目じゃないよ?」と思います。

結び