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ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)訪問介護の崩壊は進んでいる。

ヘルパー不足と言われて久しく、国は処遇改善加算などを行う事により介護報酬のアップを図っているが、これが本当の焼け石に水。というより介護職離れは止まらないし、ヘルパーがいない事で閉鎖する事業所も後を絶たない。

 

はた目から見ても介護業界が崩れ落ちていくのは分かると思う。ケアマネをしている私からしてみても「そうでしょうね」と言わざるを得ない。

 

ただでさえ儲かっていない、砂上の楼閣のような状況だったのが、前回の改定で報酬を下げられたのだ。そりゃやってられないだろう。

 

国としてはそれなりに対応策を取っているのだと思う。しかしそうではない。この記事のコメントに興味深いものがあったので取り上げてみたい。

 

(2)なぜ人の世話をするのか

「介護」というものを普及させるのに中学校高校レベルから普及活動を進めるべきという意見は今までもあった。中には実際に生徒に話したことがある人もいると思う。

 

問題はその話す意図がどこにあるのかという事。

 

つまり、子供たちに介護の話をして、介護職に誘うというのは、自分たちの介護を今の子供たちに「やらせる」意図があるのではという指摘である。要はこれから自分たちが困るから、今のうちに介護職になるように仕向けるというもの。

 

そしてこのコメントに対して、子供の頃にやり方を覚えておけば、いざ必要な時におろおろしなくて済むという反論も見える。

 

どちらも正解だと思う。

 

というより、「なぜ介護が必要なのか?」という事を考えてもらいたいのだ。

 

なぜ「人の世話をするのだろう」という事。

 

最近は少子化、核家族化、都市化などの要因で人と人のつながりが希薄になっている。本来助け合うべきものもサービスとして提供しなくてはいけない時代なのだと思う。

 

だからこそ介護がなぜサービスになったのか、これからどうしなければならないのか、という事をもっと広い視点で考えてみたいと思うのだ。

 

(3)今後の介護は

このまま訪問介護が崩壊すれば在宅介護の根幹が揺るぐことになる。そうすると施設での介護しかアテにできない。今在宅でいる要介護の方の身体介護や生活援助は圧倒的に供給量が減る。そうすると、要介護認定のハードルを上げて、お金を出すが自分で頑張るしか方法が無い時代が来るという予想も十分成り立つ。

 

個人的には介護ロボットが完全普及すれば、こういう問題は無くなると思う。しかし当たり前だがそんなロボットは遠い将来の話である。

 

従って我々第二次ベビーブームの介護状況は暗い。そう思わせる記事の一つでもある。

 

 

 

 

 

(1)断られるという事はご縁が無かったという事

多くの利用者を担当していると、利用者の方から「ケアマネを代えてくれ」という事に出くわすことがある。もともと相性が悪いというか、話をしていても「これはダメだわ」と思うような人なら交代して欲しいと言われれば「ラッキー!」と思うが、何年も続いている人で突然交代を希望されたら、「何が悪かったのかな」と自信を失う事もあるだろう。

 

ケアマネという業務を考えれば、利用者との相性というのは二の次に考える。その人がどんな人であろうと、その人や家族が生活を送る上で力になりたいと思いながら仕事をしているはずである。それがよく分からない理由で断られるというのは、ケアマネの側からすれば身に覚えも無いし、「お前じゃダメだ」と言われているようなもの。

 

しかも利用者が直接言うのではなく、地域包括なんかに言った場合、「あなたが利用者と信頼関係を作れなかったから」とこちらのせいにされる事もある。

 

まあ、ご縁が無かったと割り切って、今担当している利用者に力を注ぐのが良い。傷は時間が解決してくれる。

 

(2)断られそうで断られない人もいる

利用者の側からすれば、人生の最後に世話になる人というのは相性が良い人が良いだろうと思う。特に介護保険というのはよく分からない。近所の人に聞いても自分がどうなるかイメージが出来ない人も多いだろう。

 

特に利用者にすれば「こんな簡単な事」と思っていても、出来ない事もある。何でもやってくれるとは思っていなくても、いざ出来ないと言われると「じゃあどうするの」と不満が残るシーンになる。

 

介護というのは利用する側の期待によるものもあると思う。介護する側への期待が小さければ文句も出ないし、期待が大きければその期待に沿えない時は頭に来る。

 

私の利用者でもすぐに怒る人がいて、いつか断られるのだろうと思っていて、もう10年たつ人がいる。だからその関りというのはこちらで傾向を対策できるものでもないのだ。

 

(3)ケアマネ不足であるから

それでケアマネを後退した人は新しいケアマネの下で支援を受ける事になるが、うまく行く事もあればうまく行かない時もあるようだ。

 

出来ない事はケアマネを代えても出来ない。しかし前任者が「出来ない」事を伝えているから、後任者があれこれ言われる事も少なくなったともいえる。

 

まあ、ケアマネを選ぶ際に数人から選ぶという事はほぼないだろうから、交代をするという事は普通にあってよい。ケアマネ側もがっかりすることなく、新しい利用者を迎える準備をすべきだ。気持ちを切り替えよう。

 

 

 

(1)ケアプラン点検に思う

私がさんざん酷評しているケアプラン点検の記事のようで、日本介護支援専門員協会の会長が自民党の部会で「ケアプラン点検における適切なケアマネジメント手法の活用は不適切」とする見解を示した。

 

「同協会は適切なケアマネジメント手法について、「法定研修において介護支援専門員の意識づけとして活用するものだ」と主張。その上で、「ケアマネジメントは支援の個別性が基本原則」とし、ケアプラン点検などでの活用については「適切なチームケアへのミスリードにもなりかねず不適切」とした。」(記事より引用)

 

う~ん、何が言いたいのかよく分からない。

 

もともと「適切なケアマネジメント手法」と作ったものであれば、ケアプラン点検で活用できているか調査するのは当たり前なのではないかと思ってしまう。それをケアプランは個別性でとか言ったら、なんでもありになってしまう。

 

そもそも介護に正解なんてない。その正解のないものにあれこれケチをつけるのがケアプラン点検だと私は思っている。

 

(2)絵に描いた餅でしかないケアプラン

これからの介護はICT化、ケアプランもAIで作る時代になってきているのだろうと思う。それは業務削減を含めて「良い事」とされているのだろうし、そこには目指すべき介護という事を考えれば「適切なケアマネジメント手法」というのはプログラムされているのだろう。

 

だから今はICTの設備が無いケアマネがアナログで作っているだけの話で、それを活用できているか、それが正しいのかをチェックするのは当然にも思う。

 

もし「ケアプランが個別的」で良いのであれば、何でも良いじゃないか。

 

ケアマネは良く長期目標やら短期目標やらで悩む。利用者はそんなお題目はどうでも良く、サービス事業所が入ってくれればそれで良い。それが入る事によって将来どういう生活が描けるかなんて考えていない人は多い。

 

そしてもしうまく行ったとしてもそれは結果だ。そこに向かっていたのは言語化しなくてもその人の必然だ。そしてその目標に行かなくても、それはその人の人生だ。

 

(3)それでどうすれば?

今回、会長がこういう声明を出す事によって、現場では「?」になっているだろう。

 

私のように最初から無視している人はどうでも良いと思うだろうが、つまらない研修を受け続けている人は「じゃあ、どうすれば良いの?」と混乱するだけだと思う。

 

まあ、今の状況を維持したい人からすれば、何とか今の状態を維持する事を考えているのだろう。

 

対して勉強していない私でも「?」が飛び交う記事である。