心の動き、本能を邪魔する理性。~実例から学ぶ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)法を定める側は他人任せ。

6/1に起こった埼玉県川口市の「ケアマネ殺害事件」を受け、厚労省が複数人で訪問した際の費用を国が支援すると通知した。

それは厚労省は発出する介護保険最新情報Vol.1508「介護支援専門員等の在宅介護従事者の安全確保の徹底に ついて」で「介護支援専門員の安全確保のため、利用者宅に複数名で 訪問する場合の経 費(介護支援専門 員等の同行訪問に よる経費) については、令和 7年度補正予算( 令和8年度に繰越 済み)に計 上している「地域 のケアマネジメン ト提供体制確保支 援事業」の 中の「介護支援専門員業務負担軽減支援事業」(地域医療介護総合 確保基金の中の「地域のケアマネジメント提供体制確保支援事業」 も同様)を活用することが可能です。」とある。

 

付帯する法律では「労働施策 2 の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律(令和7年法律第 63 号)」において、カスタ マーハラスメントの防止のため、雇用管理上必要な措置がすべての事業主に義務付けられた。

 

介護関係では、事業主による雇用管理上の措置については、介護事業者向けの対応マニュアル(「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」)等により示ししており、管理者・職員向けの研修用の手引き、介護現場におけるハラスメント事例集を作成し、 厚生労働省 HP において周知を行っている。

 

まあ、国としては既にそういう支援策はあったんだよという事。厚労省にすれば真新しい事では無い。しかしそれで良いのかと言えば現場感覚では違うと思う人は多いと思う。

 

(2)理性が本能の邪魔をする。

人がトラブルというか突発的な出来事に遭遇した時の心の動きというのは複雑だ。

 

私の経験談の一例を挙げる。

とある時、千葉県の某駅に向かって歩いていた。踏切があり、ちょうど閉まりかけた。別に急いで渡ることも無いと思って立っていた時、隣にいた女性がバーを上げて線路内に侵入した人がいた。電車の徐行しながら走っており、その人は何か探すように這いずり回っていたが、不意に立ち上がり電車にぶつかり転んでしまった。その後警察が来て、1時間くらい足止めを食らったという事があった。

 

その時の私の心の動きは本能的な事を感じたが、実際の行動は違う。

①本能的に感じた事。

1.隣にいた人がバーを上げて線路内に侵入した。・・・「早く戻れ!」と声をかける。

2.何か探すように這いずり回っていた。・・・とにかく戻るように声をかける。

3.電車にぶつかり転んでしまった。・・・対向車両が来ないか確認して、助けに行く。

4.その後・・・警察に連絡する。

という事だが、実際の私の行動は180°違う。

 

②実際の行動。

1.隣にいた人がバーを上げて線路内に侵入した。・・・何が起こったのか理解できない。夢じゃないかと思う。声をかけて下手に絡まれたら面倒。

2.何か探すように這いずり回っていた。・・・何も起こらなければ良いなと思いながら見守る。何かあっても理解できない。

3.電車にぶつかり転んでしまった。・・・「ウソだろ!」という気持ち。トラブルの前の瞬間まで戻したい。

4.その後・・・警察の聴取には応じた。

 

つまり本能的なものと実際の行動は違うという事。この場合「助けなきゃ」という思いがありつつも、下手に助けて違うトラブルに巻き込まれるのは面倒だ。ましてや相手は女性であり、後で「触られた」などと言われるのも嫌だと思った。

 

更に言えば、この後「怒り」が湧き出てきた。心配させやがってという事か、時間を無駄にさせやがってというものかは分からない。少なくとも大事にならずホッとしたという感情は無かった。

 

(3)本能に従え。

ここで今でも思うのが、トラブルの場に遭遇した時「トラブルの起こる前まで時間を戻したい」という事である。つまり面倒な処置をしたくない、関わりたくない、逃げたいという気持ちがあったのは事実である。と同時に野次馬根性と言われるだろうが、事の顛末を見たいという気持ちもあった。

 

介護の話に戻せば訪問時にトラブルに遭遇した時も同じような「本能と理性」とでもいうべきだろうか、考えと行動が違うという事はあるだろう。例えば刃物を振りかざす利用者を見ても「逃げなきゃ」「一緒に来た人を逃がさなきゃ」という本能と、「ここで逃げたら何を言われるか分からない」「役所への報告で、何を言われるか分からない」「刺されても大丈夫だろう」という甘い気持ちや考えから、事件になる可能性は私でも否定できない。

 

おそらく現代では本能を鍛えていない。人間が本来持っている危機回避能力を発揮しにくいものになっている。そしてゲームなどで人を殺してもリセットすれば生き返る。実際に叩かれたことも無く痛みを感じることも無い。更には「多様な考え方」の元、いくら人助けをしてもSNSで誹謗中傷される。それはその人の考えだから否定もしにくい。そういう知識を持ってしまうと、いくら人助けといえども本能を発揮しにくい。

 

そういう時代だからこそ本能から来る答えを大事にしたいと思う。それが正直な生き方なのだろう。