(1)架空の人物をあれこれいじるグループワーク
ケアマネに限らず様々な研修でグループワークというのがある。特にケアマネの更新研修ではいくつかのテーマに即した事例を持ち寄り、それに対して色々といちゃもんをつけるという、まさに地獄の時間である。
まあ、こうした事例を出すとなったら私は架空の人物を作って持って行く。これはもう公言してもいいくらいで、役所がケアプラン点検に来ませんか?という話があった時も「架空の人物を出しますよ」と行った事がある。
というのもリアルに動いている時は困っているケースなどない。実際に困る事があればその場であちこちに連絡したり相談したりするので、その困りごとはすでに解決している状態である。
もしも困りごとが続いているとするならば、余程相性が悪いか、しょうもない利用者や家族という事になる。しかしそういう人は私はどうにかなっていたし、どうにもならない人は担当を代えてもらうということ以外に無いと思う。
だから困難ケースを出せと言われても結果報告にしかならない。そういう人も多いだろうと思う。
(2)話がつまらない講師に限ってグループワークをやりたがる。
あと、座学の研修でもグループワークをする場面がある。
これは一応、講義形式で話はするのだが、大体においてつまらない。従って私にとっては昼寝の時間になっている。
そういう事は講師も分かっているので、最近の研修でよく見られるのは講師が質問して一列ごとに受講生に答えさせるとか、グループワークである。
まあ、自分の話がつまらなく、役に立たない事を棚に上げてこういうことをするのだから、そりゃ不興を買うというのもその通り。
結局そういう事をしても興味が無い人には刺さらないし、とにかく研修を受けさせなければならないという何だかよく分からないものだと思うんだけど。
(3)ケアマネの目的は
私は専門が何と言われれば相談業務という事になるのだろうが、要は利用者が困っていることと制度をどう結び付けるかである。
だから医療については医療側に相談するし、福祉用具や住宅改修では専門員に相談するという事になる。
一人で何でも分かるわけでは無いし、そこを求めていてもキリがない、というのが私の考えである。大事なのは、そういう問題が発生した時にいかにスムーズに解決する方法を取るかという事だ。
ケアマネは問題解決の入り口に過ぎないのだ。
だから辞書を引くように、問題解決をするために検索する能力が大切なのだと思っている。
そういう事が自称所とのコミュニケーションにもつながるし、お互い気持ちよく仕事が出来る環境づくりにもなると思う。
そういう研修ならありがたいのだけど、そういうことを取り上げる機会は全く無い。
