(1)言われ続けた「最近の若い奴」
誰でも通る道なのだろう、私も散々「最近の若い奴は・・・」と言われてきた。それはだらしない、弱いという事を言いたいがため、もしくはそういう人が「俺の若いころはもっと・・・」という昔自慢をしたいという事もあったと思う。
自慢話をしたい人は多い。それも経験したことが珍しい事なら、周りの人も「すごいですねえ」となり優越感に浸れるというものだ。
しかし聞いている方はハッキリ言って興味が無い。腹の底では「時代が違うんだよ」とそっぽを向いている。
介護の仕事をしていると、高齢者と話が合わないという人もいるが、そりゃ生きてきた時代が違うし、その時の価値観も違うから当たり前だ。そういうことを学び理解し、共感するからこそ人間関係が育つのであって、それは介護職にとって基礎知識だとも思っている。
(2)ビジネスマンの「さしすせそ」
最近、営業マンのトークが同じように思える。おそらくイントロからクローズまで、こういう言い回しで、場合によっては突き放してみたいなテクニックを学んでくるのだろう。
そんなテクニックの一つに「さしすせそ」があるという。
- さ・・・さすがですね / 最高ですね
- し・・・知らなかったです
- す・・・すごいですね / 素敵です / 素晴らしいです
- せ・・・センスがありますね
- そ・・・そうなんですか!?
というもので、逆に使わない方が良いものでは「たちつてと」があり、以下のとおりである。
- た:たいしたことない、たいした〇〇ではない
- ち:違います、違うと思います
- つ:つまらない
- て:適当
- と:とんでもない〇〇です
ビジネスの世界では成約に結び付けるのが目的だが、プライベートではそこまでもミッションが無い。従って、上っ面の相槌であれば「さしすせそ」を使っておけば、まあ間違いはないというものだ。
まあ、世代間ギャップというのはどうしても起こる。分かりやすい対立軸だからだ。だから「若造」だの「老害」だの言い合ってもしょうがない。上っ面の薄っぺらい会話で場を繋ぐというのもテクニックだろう。
(3)価値観の押し付け合い
若い人の方が合理的と言うか、解の最短ルートを知っている。出来るものは出来るし、出来ないものは出来ないのだ。それはいくら考えても出来ないものは出来ない。
出来ないものに時間をかけてもしょうがないし、それだったら別の事をやるというのが合理的というものだ。
それは価値観というもので、理解しようとしても難しいものである。それに多くは自分の価値観を相手に押し付けようとする。それは昔からある慣習とか、周囲の納得とか、おそらく押し付けられる側は納得できないような理由なのだろう。
まあ、お互いの価値観を尊重して、目標を達成できれば良いよねという事だろう。しかし目標が達成できなかった時の価値観の衝突は予め考える事は少ない。
おそらく時代を超えてリーダーと言うのはそういうリスクも含めた考えを持てる人の事を言うのだろうと思う。
とはいえ、最近私も「最近の若い奴は・・・」と言ってしまう事があるから気を付けようと思う。