(1)間違いではない
20代が思う介護のイメージは、「体力的、精神的にハードそう」であり、仕事への興味はなく、介護職を経験したくないという人は過半数という結果のようだ。
具体的には「罵詈雑言などを浴びるつらい仕事、ミスをしたら患者と同僚に責められ、ストレスをかかえまたミスをする悪循環」「サービス残業が多く体力的にも精神的にも大変そう」「心の余裕が無くなっていって、同僚や先輩後輩にもキツく当たるような性格になってしまいそう」という身体的・精神的負担や給与の問題が多く挙げられている。
介護を長く続けている私から一言。はい、その通りです。
介護の仕事というのは利用者から罵詈雑言を浴びせられます。場合によっては暴力を振るわれます。その上給料は他の産業に比べて年収数百万円レベルで低いです。
では労働環境を変えればその仕事をするのか?という答えは「NO」だろう。だってやりたくないんだもん。
(2)選ばれる仕事になる為に
少子化、都市化、DINKSといわれる核家族化が進んだのは随分前の事である。その頃から三世代で住むという事は徐々に減っていき、孫にすればおじいちゃん、おばあちゃんは「夏休みに会いに行く人」であり、日常的にいる人ではない。それは我々世代でもそうである。
そして我々世代の子供の世代というのは、もっと「個」の世界が進む。
人とのつながり、社会的集団の基礎である家族のつながりよりも「個」の楽しみを優先し、嫌なことはサービスを利用する時代である。
それは退職代行サービスというのがあるように、本来「そのくらい自分でやれよ」というものもお金を払ってやってくれるようになったという、ありがたいやら何やらの時代である。
そういう時代であれば介護の仕事をやりたいというのは余程の事だろうと思う。
一つは介護しか仕事が無いという人。
そして、介護という仕事に意義を感じることである。
(3)失って欲しくない価値観
最近は多様な価値観の時代と言われている。
今まで嫌でもやらなければいけないことも、やらない事の価値観を認めるようになった。つまり我慢できなくなった。
介護もそういうものになった。だって家族が介護をしなくなったのだから。それは仕事や生活の事もあるだろう。親の面倒を見るより、自分の家族を優先するという事もあるだろう。
いずれにしても介護というのは価値観のレースから置き去りになった。
心の余裕がなくなった今の時代であればそうなるのも当然である。
先日の選挙でも言われていたのが「減税」の問題。全体の約6割が生活に困っている状態である。それだけ生活に困っていれば心が豊かになるわけがないのだ。
そして「個」の重視。本来であれば複合家族で住めるものを核家族で住む。そうなれば必要なお金も増え、生活に余裕も無くなる。
介護問題はそうした複合的な問題から来ていると思う。
それはこれからも変わらないが、そういう形であれ「親の面倒を見る」という価値観は無くさないで欲しいと思う。
