いなくなり 初めて分かる ありがたさ | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)介護を見限ったのは「介護従事者」

見捨てるのか、と言われて「はい、そうです」と答える輩はいない。しかし論を進めていくうちに「他の業界でも人がいない」などと言い、決して介護に財政的なテコ入れをしようとしない。

 

訪問介護については特にひどい。

ホームヘルパーになりたがる人がいたのは介護保険開始当初だけだったと言っても良い。コムスンショック以降「訪問介護は儲からない、稼げない」という風潮が広がり、私が起業した2004年当時は既に募集をしても応募が無いという状況。そして「登録ヘルパー」というのは影を潜め、正社員化した訪問介護は少数主義になり、稼働時間が重なり利用者の希望する時間に入れないケースや、ヘルパーからの急なキャンセルも増えてきた。

 

更に前回の改定では訪問介護の報酬を下げるという暴挙に出た。これはサービス付き高齢者向け住宅が利益を出しているというのが理由のようだ。しかしサ高住の訪問介護は施設介護と変わらない。仕事の移動や待機時間などの働き方が一般の在宅介護と全く違う効率的な稼ぎ方をしているから、これはこれでビジネスモデルになりうるが、割を食った一般の家に行く訪問介護はこれで経営困難が一層加速した。

 

その時の説明は「加算もあるから減収は殆ど無い」という事だったが、その加算を取れる要件は厳しく、殆どの事業所が取れないから、結果として倒産・事業廃止が過去最多となった。

 

(2)淘汰された訪問介護

ケアマネである私は実際の調整として訪問介護はあまり使っていない。確かに利用者の希望があればある程度は入れられるが、絶対にこの回数でないといけないのかと言えばそうではないだろう。

 

確かに訪問介護の事業所を探すのは大変になってきた。

受けてくれないケースというのは、例えば通院とか突発的で週間予定に入れられないようなもの。対応できるヘルパーがいれば行うが、必ずしも約束できるものでは無い、というように変わってきたのは現場レベルで分かる。

 

とはいえ、まだ何とかなるかなという思いはある。そうすると今までの訪問介護というのは何だったのかという思いも出て来る。訪問介護を併設している居宅介護支援事業者でのプランは、ケアマネが想定している回数や時間を無視してヘルパーをねじ込む事業所もあると聞く。

 

後は事業者数だが、倒産・廃止件数は過去最多である一方、事業所数はさほど変わらないというデータもあるようだ。それは「弱肉強食」が働いて、小さい事業者が淘汰されたという結果であろう。それ自体は問題とも言えるが、ケアマネの立場で言えば選択肢が少なくて済むし、そこで何とかしてくれればどうにかなる、というものだ。だから零細事業所が淘汰されても、ケアマネ的には何とかなる、という事で業界の危機感までは感じていないというのが本音だろうと思う。

 

(3)心が離れていく介護

実務レベルでは「まだ何とかなる」というものだが、本当に憂慮すべきは「介護業界、そして介護そのもの」が見限られるという事だ。

 

そもそも介護は家族がやらなければならないものであったものが、近年の核家族化や都市化などの影響で「社会が面倒を見る」という事で介護保険制度が始まった。

つまりこのような社会問題が解消されない限り、介護問題というのは存在するし、社会が面倒を見なければならない。それを「家族が出来るだけ」というように変えていくものだから無理が出る。そうすると会社を辞めなければならないという「介護離職」の問題が新たに出る。では地域の介護サービスを活用できるかと言えばそもそも事業者も無く、結局は「制度あってサービス無し」の介護となり、全てに不信感が蔓延する、といった未来が予想されるのだ。

 

介護従事者もこのような社会情勢の中頑張ってきたが、これだけ他人事のように扱われ、待遇も悪ければ人に勧めることも無く、介護というのは理念から現実がどんどん遠のいていくものになっていく。

 

2025年はまさにそれが始まる年なのだろう。

訪問介護はまさにその先駆けとなる。

 

そして誰もいなくなる。人はいなくなった時に価値が見える。介護事業所も無くなった時に、そのありがたみが分かるだろう。