(1)人材不足問題は
我々は自分の意思で希望する仕事に就くことが出来る。逆に言えばやりたくない仕事は選ばなくても良い。それが例え社会的に必要な仕事であったとしても。つまりそういう「誰もやりたがらない」仕事は民間では期待できないから行政で行うしかない。
福祉というのはそもそも閉ざされた業界だった。
それは戦後の住む家も無い人を収容するという形から戦後の福祉が始まっているわけで、その施設を運営するのは社会福祉法人という法人格を取得するものだった。
それが時代が進むにつれ、2025年という団塊の世代が後期高齢者になる年を見据えた時、今までの施設収容型から在宅型への移行が必要で、それが介護保険制度のきっかけとなった。事業所も民間に開放し、スタート時は新しい業界への期待からこの業界に来る人も多かったが、四半世紀たちターゲットとした2025年を迎えた今、とても持続可能とはいいがたい状況である。
(2)打開策は
介護保険が始まってからの法改正は給付制限や事業所のハードルを上げるものばかりだった。それは「質を上げる」という名目であったり、法の不備による事業所の誤解で一部の事業所が不当に利益を上げていると思われたことが原因だったが、それについてこれない事業所は退場していった。
それだけの事をするべきか?と常に思うが、この25年で思うのは明らかに要介護認定が厳しくなったこと。特に要支援が1と2に分かれた時から今までは要介護で判定されていた人も要支援で判定され、今まで使えていたサービス量が使えなくなった。
確かに制度のだぶつきというか、本当ならそこまでサービスを入れなくても良いのに、と思うような人がいたのも事実である。
そして最近言われているのが「訪問介護における生活援助」を介護保険から切り離すこと。介護人材が少なく、業務の優先順位から考えるとそういう結論になるのだと思う。
そう考えると、これからの介護保険を運営する上での打開策はただ一つ。「介護サービスが受けられるハードルをもっと上げること」である。
(3)そして誰もいなくなる
以前、要介護1.2の軽度者は地域事業に移行すべきという議論があった。現場からは要介護1.2は軽度者ではないという反論があり、今でもそれは実現されていないが、要介護4や5の方に必要なサービス量を考えれば、その量は小さくて大丈夫なはずという判断があってもおかしくない。
だったらそうすれば良い。
その上で、実際に不都合が出て来て高齢者になっても安心じゃないじゃないか、という反発が無ければどうにもならないだろう。
もともと「高齢者の面倒は社会で見る」ことを目標に始まった介護保険だが、「家族が見ることが出来ることは家族が見る」になり、そして高齢者の不都合はある程度我慢しろ、というように変わるしかこれからさらに減るであろう介護人材で賄うには、介護を受けられる人のハードルを上げるしかない。
世間では体の弱い高齢者が在宅で生活し、家事援助もままならない状況ではゴミも散乱し、悪臭が漂い、人の目が少ないから盗難も頻繁に起こり、さらには何か事故があっても、人が入る機会が少なくなるから発見が遅れるという状況になる。
一部のお金持ちは有料老人ホームに入って、でも悠々と暮らすことは難しいだろう。だってそもそも介護人材がいなくなるのだから、それこそ「質の問題」は解決できないままになる。
私が思う未来予想図である。これで良いんですか?