(1)ケアマネはやりがいのある仕事である。
そもそも論であるが、昨今これだけ介護職の待遇の悪さが言われ、ケアマネも人がいなくなり、という介護職離れが進んでいるのに、中には私のように10年を超えるキャリアを持つ人もたくさんいる。
それにはいくつか理由があると思う。
まず単純に定年が他の産業に比べて緩い。他の仕事であれば間違いなく定年の年齢の方がケアマネをしているというのも日常的だ。
それにある程度の年齢になると、この仕事を辞めて他の仕事に就くというチャレンジ精神は無い。
更に言えば
はやめたくても辞められない事情というのもある。
まずそれは我々は「どんなに嫌なことがあっても最低3年は勤める」という事を言われた世代である。
そんな事を考えればいくら待遇が悪いとはいえ、この仕事にしがみつくという事も有るのだろうが、果たして「やりがい」というのはこういうネガティブな考えの裏返しなのだろうか?
おそらくそれは違うだろう。それをかみ砕いて語っていきたいと思う。
(2)高齢者福祉に思う事
私は大学を卒業したら児童関係の仕事に就きたいと思っていた。
それは私が子供の頃、嫌な経験をたくさんして、生きる望みすら失っていた所をある人に助けられたからだ。
だから生きていく上で人の支えになれる人になりたいと思ったというのがベースになっている。
結果、就職事情で児童関係には就けず、高齢者の仕事に就くことになった。
最初に就職したのは老人病院だった。
そこでは大多数が寝たきりだった。褥瘡からは骨まで見える人もおり、関節は固まり、疥癬という皮膚病が蔓延していた。私も痒みに苦しむ日々だった。
そして養護老人ホームに転職した。
そこは単純に収容施設だった。
生活指導員(今は生活相談員と呼ぶ)として亡くなった利用者の葬儀に参列することも多かった。この施設での生活は幸せだったのだろうかと考えた。
人生において幸せとは何だろうか、と考えれば人によって違うという答えになるだろう。それは個人の価値観であるから明確な答えがあるわけではない。
だから今ケアマネの仕事をしていて「利用者の意向」を書く欄があるが、そんなものは適当に答える人が殆どだ。
しかし自分がいざそういう立場になった時、どういう人が周りにいたらよいだろう、どういう人に世話になりたいだろうと考えた時、一言で言えば「良い人」に当たりたいと思う。
では「良い人」というのは具体的にどういう人かといえば、一言で言えば「エンターテイナー」なのだろうと思う。
私はこういう話をする時に川下りの船頭という話をする。
高齢者福祉という川下りの場ではケアマネは船頭だ。川を下る過程では穏やかな流れのところ、急な流れの所、場合によっては水しぶきも上がる。もしかしたらびしょびしょになるハプニングもある。
しかしそれもひとつのエンターテイメントだ。
この川は「三途の川」である。
私はその川を渡り、向こう岸に利用者を送ったなら、また新しい利用者を迎えに行くのだ。
川下りというちょっとした時間になるかもしれないが、私と過ごす時間は楽しんでもらいたいと思う。
そして死ぬときに「あの人に会えてよかった」と思ってもらえればそれで良い。
ケアマネの仕事いうのは、私のこういう考えを具現化で来た仕事であったと思うのだ。
(3)人が生きて、死ぬという事
人が一人生き抜くという事は大変なことである。自分には価値が無いと思う人もいるだろうが、人生でどれだけ税金を納めてきたかという事を考えれば胸を張ってよい。
そして、国に貢献してきた人が高齢者になり、介護が必要な状態になれば、若者が感謝をもって面倒を見るというのは本来当たり前の事であり、そうでなければならないと思う。
先人のおかげで今の平和を享受できるという事を教育で言わないから、介護というのは面倒なものだし、その仕事は「やりがい搾取」の仕事に成り下がるのだ。
このようなアンケートの結果を見たから「だからどうした?」と思う人は多いだろう。
だから今一度、あなたがこの仕事を続ける「やりがい」を再確認して欲しい。
労働条件とか報酬改定云々とかはそれはそれとして考えるべきものだが、人相手の仕事というのは思い入れの深い仕事である。それでいいじゃないか。
そんな風に思う今日この頃である。