(1)自分を保証してくれる人がいない
私が親から言われたことは、絶対に他人の保証人にはなるなという事。一旦、保証人になったら最後、その人のすべてを背負い込むことになりかねない。結果として他人の為に自分の財産を差し出し、自分は路頭に迷うことになる可能性があるからだ。
一度、我が社の社員が入院するときに保証人になったことがあるが、せいぜい数十万円のものだからと受けたことはある。しかしもし自分で賄いきれない金額であれば、たとえ親しい人でも断る。
そんな考えだが、こと自分に至っては自分を保証してくれる人はいない。そうすると民間の保証会社に依頼することになるが、結構厄介な会社が多いと聞くのもその特徴だ。
(2)民間保証会社は今でもあるが
「保証」が必要な場面というのは様々ある。
一番喫緊なのは入院するときの保証人だろう。病院としても取りっぱぐれが無いようにしなければならない。そうした時に身寄りがないなどとなれば、ケアマネに相談することになる。酷いのになるとケアマネに保証人になるように依頼してくる病院もあると聞く。
勿論、利用者の為に保証人になるという事は絶対にない。
もしそのようなことがあった場合、高度な金額の高い治療が必要な場面があったとする。ケアマネとしては治療を拒否し、その後亡くなったとして、後で相続人が出てきた場合、何で治療しなかったのかと争いになる場合もあると予想できる。
それまでの関係が希薄だったのに、お金を取れるとなればお世話になった人でも裁判を起こす時代だ。
そう考えると、入院中の相談、洗濯、家にある必要なものをもってきて、更に費用の保証、更に裁判を起こされて多額の賠償金を払うとなったら、そんな仕事はあり得ない。しかし現実にこういう事態は起こる可能性は無いとは言い切れない。
だから今の民間保証会社は一時金を高く取る。いくら利用者の希望云々いっても、裁判沙汰になったらそれなりの費用が必要になるからだ。
それが世の非難を浴びてこうした施策に展開していくのだろうが、このようなプロセスがあった場合にどこまで対応できるかは不明だ。
(3)悪徳業者も無いとは言えない
もう一つは相続の話にも結び付く。
人が死ぬという事は、その残された財産をどうやってむしり取るかという事に全力を尽くすというのが世の常だ。例え身内であっても少しでも多く分捕りたいと思うのはもはや常識と言えるだろう。
そういう意味で言えば、とある区の社会福祉協議会が配布しているエンディングノートにも「社協への寄付」のお願いがちりばめられている。同じように保証会社に頼めば、その会社へ寄付するよう誘導するという事もありうるだろう。
更に耳障りの良いことを言って営業しても、いざ保証が必要な場面になったらなんだかんだ理由をつけてやらないという事もありうる。
公的なサービスとしてここにメスを入れるという事は良いと思うが、実際の補償内容を考えると、民間保証会社の言い分も分からなくもない。結局、そういうやり方が公的サービスになるだけという気がしないでもない。
結局、人の保証をするという事は、保証が終わった後にどれだけ見返りがあるかによって決まるといっても良い。