企業努力のしようもないだろう | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)報酬減→事業廃止数最多は当然

去年の介護報酬改定により訪問介護は介護報酬を減らされた。当時、厚労省は「処遇改善加算を活用すればプラスになる」などと説明していたが、実際にその恩恵を受けてプラスになったところはほとんどなく、過去最多の倒産、事業廃止という結果になった。そういう場合は「残ったところが淘汰していく」としてサービスの総量が変わらないのなら問題はない。しかし圧倒的な人不足でケアマネからの依頼も断るところも増えてきたというのが現状である。

 

具体的に言えば、安い生活援助や、訪問日が不安定な通院介助などの仕事は受けない。報酬の高い身体介護を中心に受けていくという事になるだろう。経営的にはそうならざるを得ない。しかし身体介護には繊細な注意と匂いなどの不潔な所に対峙しなくてはならない。それをどれだけ耐えられるか、という所もこれからの介護者に求められるスキルになる。

 

(2)置き去りにされる生活援助

先日も書いたが、訪問介護の生活援助が置き去りにされる懸念もある。もともと生活援助は国家資格である介護福祉士を持っている人がやるべき仕事か、という声はもともとあった。そして利用者の方も家政婦と勘違いしているのか、アゴでヘルパーを使えると思っている人も一定数いるのも事実だ。しかも介護保険の対象なので費用も安い。従って、安く人を使えるという、ある意味優越感に浸れるものでもあるのだ。

 

しかし生活援助こそ、利用者の在宅生活を支える重要な仕事であるという事は現場側から声は上がっていた。

 

片や介護報酬の高い仕事をしなさい、片や自立支援のための仕事をしなさいと相反する要求をされれば、混乱するのも当然だと思う。

 

やはり高齢者のとって、特に女性に多く見られるが、買い物に行って自分の目で品物を選びたいとか、自分で料理したいとかいう生活行為は自分の人生でも重要な要素を占めるものだ。勿論、ヘルパーが一緒になって行う「共に行う家事」というのはあるが、スーパーが近くになく買い物に行けないなどの理由もあり、ヘルパーに代行をお願いするケースも多い。やはり在宅で生活するのに、自分の意思で環境を整備するというか、納得のいく生活環境であって欲しいというのは生き甲斐にもつながるのではないか。

 

そういう「心」の部分を生活援助は担っている。改定のたびにそこが置き去りにされているように思う。

 

(3)報酬を下げておきながら、昇給させろというのは難しい

介護事業者にとって法主が下げられるというのは、一般企業で言えば売り上げが下がるのと同じである。

しかも利用者の数が変わることなく、仕事時間も変わらない。つまり「値下げ」の状態になる。

その理由が「儲かっているから」というものだったが、それはほんの一部であり、評価のやり方に問題がある事を誰も指摘しなかった点は、誰が責任を取るのだろうか。

その結果、事業撤退数は過去最多になり、ケアマネとしても訪問介護への依頼が難しくなっているというのも事実だ。

 

ただでさえ薄給の介護職である。

処遇改善加算だって、まず対象となる職員が介護福祉士を取らないと条件から漏れることもある。まず介護職の人がどれだけ試験に対応した勉強をするだろうか。

 

最近は介護福祉士もケアマネも合格率がバカみたいに高くなった。今までは「質」の問題を大義名分に、下らない研修で金をむしり取っていたのに、合格率を下げるという事は、大好きな「質」を下げるのと同じではないだろうか。

 

誰だって試験は好きではないだろう。そんなことを職場から強制されるのなら、他の業界に行くという事だってあり得る。そもそも介護福祉士なんて「名称独占」の資格だから、介護福祉士の名乗らないのであれば、まず意味はない。他の仕事をするのにそんな国家資格は捨てても全然惜しくない。

 

そんな意気消沈した業界を、企業努力で何とかせいと言ってもそれは他人の話。

 

本当に責任のない発言をする人が多いというのは聞いていて辟易する。