(1)介護職は危険がいっぱい
介護職のイメージというのは悪い。
まず給料が安い。それから休みが不定期。そしておむつ交換などの汚物処理は汚い。つまり仕事として「おいしい」仕事ではない。それは今更言うまでもなく、この仕事の「業」である。しかしそれだけではなく、認知症をはじめとする扱いの難しい高齢者。暴言、暴力を振るわれても泣き寝入り。ちょっと目を離したすきにご縁でもあったら家族から訴えられて多額の賠償金を取られる。行政の運営指導も、実態に合っていない運営基準で指導され、場合によってはどんなに困難なケースでも「ただ働き」になってしまう。
ハッキリ言えば、介護の仕事というのはこれだけ危険な仕事なのだ。
更に職場の先輩も面倒な事は後輩に押し付けるというのは何処の職場でもあるだろうが、こういう職場の問題も相まって並べてみれば、誰がこんな仕事をするもんかと思うのも当然だと思う。
これだけでも介護の仕事を避けるという理由には十分だろう。逆に言えば、今の介護職はこうしたプレッシャーの中で耐えているのだ。
(2)廃止件数は増えている
昨年の介護事業者の廃止数は過去最多となった。報道の多くは去年の訪問介護の介護報酬減を理由に挙げているが、それだけではない。
単純に跡取りがいないし、させたくないからだ。
介護保険が始まった当初、国は新たな産業としてのアピールをした。今まで社会福祉法人しか担わせなかったものを民間参入を促進した。そうすることによって、職員にも「お客様意識」が芽生え、色々と良くなっていったというのは事実だ。
ケアマネの立場で言えば、ケアマネと訪問看護の関係というのも分かりやすいだろう。かつてはケアマネと訪問看護は対立とまでは行かないが、お互いが理解するまでは至らなかった事が多い。看護師の舘賀で言えば、命に係わる仕事でもあるわけだだから、家族にもうるさく言うし、それが家族の不興を買う事もしばしば。当然、いう事を聞かないのはケアマネのせいにされたし、私も随分と言われたものだ。所が訪問看護事業所が増えた今、こちらの意思も考慮しての対応をしてくれるところも多くなった。昔のように、看護の方が意思決定では上!という事業所とは付き合わなくて良くなったし、利用者の評判も良くなった。それを「質」という言葉で片付けたくは無いが、競争相手がいることでの意識付けは絶対に必要な事だった。
しかしその民間参入は中途半端なものだった。
まず、大手、財閥系、外資系、銀行、商社は全くと言って良いほど参入しなかった。そこで参入したのは旧家政婦紹介所がメインと、後は生命保険会社がチラホラ。
そしてコムスンショックを機に、「介護の仕事はどうにもならない」という風潮が世に広まる。
それでいて高齢者は増える一方。そこで国は給付制限やらで介護事業所のハードルを上げまくった。訪問介護でいれば、サービス提供責任者要件に介護福祉士や実務研修修了者というハードルをつけた。ケアマネで言えば、管理者要件に主任ケアマネの資格保持者が必須となった。
人がいないのにハードルを上げるという愚策は、不況の時に税金を上げるのと同じくらいバカらしいことだ。
つまりそんな痛めつけてきた挙句、訪問介護は報酬を減らされた。これからもケアマネの自己負担導入や、利用者の2割負担枠の拡大は財務省は諦めていない。
すでに制度として破綻しているのではないかと思えるほどの状態合が今なのだ。
(3)経営状態とは別に
こんな状態の業界だから、跡取りがいても継がせようと思うだろうか。
例えば大手のニチイ学館も、日本生命に売却した。
このようにファンドとして価値があるうちに売却して売り抜けようとする動きが、今の介護事業の健全な処理の仕方になっているのだ。
しかしこのブログで言いたいのはそういう経営の問題だけではない。
国が高齢者をどのように見ているか、という事だ。
今までこの国を支えてきた尽力に対しての感謝の気持ちがあるのか、という事だ。
特に歴史教育でも、今の高齢者がどんな思いをしながらこの国を支えてきたかという事を教えることは無い。つまり高齢者を尊敬するという事は教える場面すらないのだ。
そんなことで若い人は高齢者に感謝の気持ちを持つ事が出来るだろうか。
介護という業界が廃れていく背景には、こうした人を大事にするという発想が無い事も大きいと思うのだ。