(1)福祉の仕事に対する偏見
今でこそ言われなくなったが、「介護の仕事をしています」というと「偉いですね」とか「すごいですね」と言われたものだ。私は学校を卒業してから福祉の現場ばかりだったから、暑い中歩き回る営業や、工事現場の仕事の方がよほど大変だとも思っていた。
同時に「福祉の仕事をしている人」というのは世話好きで、人に尽くすことが好きだ思っている人もいる。思うのは勝手だが、面倒くさいのは様々な場面で面倒くさい役割も買って出てくれるとか、そう思っている人の為に尽くしてくれるという妄想を持たれてしまう事もしばしばあった。
勿論、このような仕事をするのは自分さえ良ければ良いという奴は向いていないと思う。しかし上記のような偏見で見られるのもよろしいものではない。
(2)介護職員は何でも受け入れるわけではない
「人の世話をする」という事は単なるお人好しでは出来ない。介護の仕事をしていて感じる普通の感覚である。
私自身、高齢者に助けられたり癒されたりしたという思いは随分ある。しかし逆に嫌な利用者もそれなりにいた。
単純に性格が悪い人もいれば、病気により自分の体が動かなくなる憤りをぶつけて来る人、それに認知症などの病気による人など、扱いにくい人や暴力的な人もいるからだ。
人間というのはそれだけ生きていく事に必死だし、思い通りにいかない時に、そのもどかしさをどこにぶつけられるか、となった時に介護職員がターゲットになってしまう場面は日常的にある。
私が揮ごうして、最初にぶち当たったのがヘルパーに対するセクハラ問題で警察に行ったことだ。
介護の対象は高齢者や障がい者で、一般的に弱い立場と言われている。しかしその弱い立場や苦しみを、何でも介護職員が受け入れてくれると思われてはいけない。
同時に怒りをぶつける対象でもないという事だ。
逆らってこない相手だから安心して怒鳴ったりするというのであれば、介護職員にもやり返す権利を与えて欲しいものだと思う。
介護の勉強をしていると、そういう人は何がしかの理由があって、理解する事から始まるとか言われる。
冗談じゃない。殴られたり怒鳴られたりされながら理解するなんて、普通の人に出来るわけがない。
そういう理想論や自分が痛い思いをしないが故の無責任な研修ばかりだから介護職員は白けて仕事を離れてしまうというのも一因だろうと思う。
(3)介護の在り方をもっと考えるべき
最近、介護施設に対する訴訟問題で、施設側が敗訴して多額の賠償金を支払うという事が目に付く。
例えば誤嚥で亡くなった方の子供が訴訟を起こした時もそうだったが、施設側からすればちょっと目を離す事はあるし、誤嚥なんて一瞬の出来事である。それをこのような判決になるのであれば、全員胃瘻にしてもらわないととても預かれないという意見が出るのも納得だ。
この時にも一部では、家族と施設の信頼関係が、とか言う論評もあったがそれは以下の述べる。
現状、信頼関係構築は施設から家族へ持ち掛けている。
何かあれば連絡する体制になっているが、家族としてもありがたいと思う一方、死んだときだけで良いと考える人もいる。つまり施設に入る時点で家族の関係はそこまで行ってしまっているので、施設から関係を持ちかけても響かない事が多い。
そうすると、何かあると施設は「お世話になった所」から「親が死んだ場所」となってしまい、訴訟の対象にもなってしまう。
そんな複雑な状況で介護職員は仕事をしているのだ。
日本人は結論をすぐに出さず、問題をもったまま続くことが多い。それは日本人独特の美学でもあるが、介護の問題を見るに、安心して仕事が出来るような法整備や環境整備は必要だと思う。もっと介護の在り方は考えてしかるべきだろう。