次はバスの乗り「十分」へ。
個々での目的はランタン飛ばし体験。
(他のHPから引用)
ランタン飛ばしの由来は、このあたりの原住民の通信手段が発端と言われている。台湾は現在でも16民族存在する。当然、争いも多かった事で、男性は戦争に行き、女性は山奥に逃げる。そしてその連絡にランタンを使ったという事である。
また一説には十分は神様が住む場所に一番近い街を考えられていた事。
『元宵節』を祝う為の行事であったものを町おこしの一環として今は一年中できるものであるなど、様々な歴史がある。
それでランタンを飛ばす所だが、電車の線路の上で行う。
(他のHPから引用)
我々がこの場所に着いた時に丁度電車が通り過ぎていく所だった。この電車は1時間に1本しか来ないので、残りの時間はこんな風にランタン飛ばしである。
約1メートルくらいの紙に墨で願いを書き、袋を広げて火を入れてもらう。ガイドさんも慣れたもので、ランタンを持って写真撮影。それでランタンを飛ばす。
遠くから見てもランタンが飛んでいる所は幻想的。我々が行ったときは天気も良かったが、この辺りは天気が悪い日が多いそうで、風が強い時はそれこそ人の家や気にぶつかって火事になりかねない。正月の凧揚げすら出来ない日本では絶対に考えられない事だ。
日本では何かすると問題が起こらないようにとか、迷惑にならないようにとか反対意見に気を使う。最近では除夜の鐘問題もそうだろう。夜中に鐘の音がうるさいというのは分からないでもないが、それにより伝統や行事の大事さも失ってしまう。
逆に台湾ではこうすれば良いというポジティブな発想のように思う場面が多々ある。
台湾の人はグイグイ来る人が多いが、やっている事は議論が尽くされた上でのことのように思う。
町おこしというのは日本のどこの地域でも頭の痛い問題だ。「こういう問題があるから実現は難しい」という頭でっかちではなく、多少の問題はあろうがやってみようという発想にならないか、という一つの見本のようなものだろう。
十分のランタン飛ばしはそんな事を考えた。