(1)福祉=公的な仕事としてのブランド
今まで公的なサービスが中心であった福祉業界も民間活力という事で民間が中心になる部門が多くなってきた。
老人ホームや保育園、児童館も以前は効率のものが中心で、民間と言えば社会福祉法人という法人格が必要という時代だった。一部は民間で賄ってきたところもあっただろうが、福祉=公的サービスという図式は就職する側にとっても一つのブランドであったのは間違いないと思う。
しかし2000年の介護保険サービス開始から福祉=公的とは限らなくなった。その当時の事を思い起こせば、確かに高齢者福祉分野ではそうした民間の活力というのは必要だったと思う。というのも当時の制度では、顧客意識もなく、職員に歯向かうというか楯突くというか扱いにくい高齢者は「問題ケース」として敬遠された。当時の施設はどうやって問題を起こさないように「管理」するかが重要で、人の人生を支えるという意識は低かったように思う。私が勤めていた施設だけかもしれないが。
だから施設の職員からは「良い人を入所させてね」と口酸っぱく言われたし、何か問題があればすぐに福祉事務所を呼び出すという事も頻繁だった。
(2)公的ブランドの限界、そして民間活力
だから介護保険が始まり、しかもそれなりに在宅で生活するに支えることが出来る仕組みが出来上がると、施設に入りたいという人は少なくなる。特に私が勤めていたのは養護老人ホームと言って、今で言えば要支援程度の方が入る施設だったので、施設の存在意義も変わっていかざるを得ない。
それに今までは役所が主導で措置入所させていたのが、高齢者自らが選べる仕組みに変わった。となると施設も選ばれるものにならなければならない。
高齢者分野では、そうした人の人生の最後に向き合うための職員の質の向上(こういう言い方は好きではないが)には民間活力の導入は有効だったと思う。
勿論、先に挙げた「公的な仕事」としてのブランド力は無くなり、介護職員の不足という事態に陥ったのは新たな問題ではあるが。
(3)民間活力が全て良いとは限らない
保育園も都心では不足が叫ばれ、特に抽選に漏れた人は民間の料金の高い所に預けなければならない事態でもあった。そこで公的な保育園とは違う基準の認定保育園だったり、定員割れが懸念された幼稚園と合体した認定こども園など、模索した時期もあったが、今は民間の保育園が多くなっている。
そうした中、記事のように自立援助ホームでも民間の波が押し寄せてきているということかな。
しかし、だ。
民間が参入するというのは「儲かる」という理由が大半を占めるのではないだろうか。
儲からないとなれば撤退する。これも当たり前の事。
ビジネスの為に集客するというのも当たり前。
そういった営利法人の「当たり前」を福祉だからと儲からないとかというのも分からないではないが、儲かると思っていたのが儲からない、だからサービスの質を下げるという事にもなりかねない。だから経営が上手いとかなんやらで民間活力を安易に使う事は違うのだ。
やはり手綱を締めるところはキチンとする。その上で民間活力でサービスをよくする。それが上手くいかないと、単なる儲け主義に福祉は陥るのだろう。