(1)大学時代の足
今も思うが、東京で暮らしていると特に車やバイクが無くても困らない。それどころか維持費が大変という事もあり得る。特に駐車場は月に何万円もかかるわけだから、家賃だけでも大変なのに、年に何回乗るか分からない車に費用をかけるのは不経済というものという認識が多いだろう。最近はカーシェアリングだったり、レンタカーも必要な時だけ借りることができるようなので、便利と言えば便利なのだが。
しかし地方に行けば事情は違う。
私は大学が仙台であった。どこの大学もそうかもしれないが、大学生の多くはスクーター(原チャリ)に乗っていた人が多かった。個人的にバイクには全く興味が無かったし、しかもスクーターなんてカッコ悪いと思っていたが、友達のスクーターを借りて坂道を上った時、そのパワーに圧倒された。こんな便利なものが・・・?と驚愕したのを覚えている。
(2)バイクを買った。
私はボランティアに行くのにそれまでは自転車で行っていた。片道40分くらいかかったかな。それでもそれしかないとなれば不便は感じなかった。しかしバイクの味を知ると事情は変わる。今で言う「普通自動二輪免許」(当時は中免と言っていた)を取り、バイクを買う。
私が買ったのはHONDAのジェイドというネイキッドタイプのバイクだった。
その当時もバイクと言えばレーサーレプリカかネイキッド、はたまたオフロードバイクと好みは様々だった。
私はネイキッドタイプが好みだったし、そういう人は多かったと思う。その中でも記事にあるスズキのバンディッドは一番人気だったように思う。
今でも思うが、やはり形が良い。おしゃれ。
特に特徴もないかもしれないが、バイク乗りであれば無難な形である。
最近、周りでは見かけないが見ればわかるというものだ。
(3)バイクとの別れ
バイクの乗っていた時はそれこそあちこちに行った。
よく行ったのは松島。
ツーリングでは岩手県の平泉だったり、鳴子の紅葉は印象深い。
そして東京までの往復。
那須高原でアユの塩焼きを食べたり。
バイクは音楽も聴けなければ、雨が降ったり風にあおられたり、場所によっては虫が飛んで来たりと落ち着いて運転できるものではないかもしれないが、やはりバイク乗りならではの面白さというのは実感できると思う。
しかしバイクとの別れは唐突に訪れた。
家の前に置いておいて盗まれたのだ。
被害届を出したが結局戻らなかった。
それ以来、バイクには乗っていない。
今は東京で暮らしているからバイクや車が無くても不自由はない。
でも、青春のいち場面を思い出す時にはやはり登場するいちページであることは間違いない。