(1)とにかく好きなものが無かった
私は大の学校嫌いだった。
一番に勉強が好きではない。ハッキリ言って何の興味も持てなかったのだ。
二番目に友達と馴染めなかった。
鬼ごっこや缶蹴りなどをしていたが、正直何が楽しかったのかよく分からない。
テレビの話題だって、たいして知らなかったから友達といる時間は何となく憂鬱だった。
そして親は教育熱心と言えば聞こえは良いが、勉強を押し付けてくる人だった。面白い事なら興味も持てただろうが、前述の通り、全く興味が無いので苦痛でしかなかった。
だから日曜日なんかはボーッと過ごし、サザエさんを見ると明日から学校か、嫌だなとしか思わなかった。
いつか、父親が私の友達に怒ったか何かした時があった。何故か忘れたが、誰に話すともなく、「こんなことをされたら学校で嫌がらせされる」と嘆いた。しかし父親がそれを聞いていて「別にいいじゃねえか」と言った。
この人は自分の息子が学校で嫌な思いをしても関係ないんだなとその時思った。
(2)自分の居場所が無かった
今思えばだが、学校に行きたくなかった。ついでに塾にも行きたくなかった。どれだけ苦痛な時間を過ごしたか分からない。「嫌ならやめればいいじゃないか」と今ならそう言う人もいるだろう。しかしそういう事を言える環境では無かった。
それは「家を継ぐ」といプレッシャーだったり、様々な事があったと思う。つまりはがんじがらめだった。
そもそも勉強に意味を見いだせず、苦痛な時間を過ごすという事は、サイドブレーキをかけながら、全力でアクセルを踏むようなものだ。そりゃいつかは壊れる。
それは生きる意味さえ失った。
自殺願望というほどのものではないが、早くこの世からいなくなりたいという気持ちは今でも心のどこかにある。
(3)チラ見の青春
親が亡くなり、一人になった今、自由を謳歌している。
資産を残してくれた親には感謝しているが、子供の頃に受けた痛みは死ぬまで忘れることは無いだろう。
ただ、一つ思うのはそうした嫌な事があったにせよ、この年まで生きて来られたという事。どうも人から見れば「メンタルが強い」らしい。
それは究極の我慢の産物なのかもしれない。
おそらく人はみんな違って良いし、好きな事をやることで個性を伸ばすというのは間違いではない。
願わくは私のように人生を諦めて、斜から見ない生き方をして欲しい。
「チラ見の青春」は面白くなかった。