心理的安全性 | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)50歳という岐路

こういう記事を読んでも読まなくても、50歳を過ぎるというのは人生において色々と考える時期なのかもしれない。

特に今まで嫌々付き合っていた人間関係なんかは、自分が心地悪いと思っていながらも居場所が無いとか、なんとなくとか、辞めたら迷惑がかかるとか、今までお世話になったからとか他人がどう思うかばかりを考えて縛られてしまう。

しかし、とある人に「自分の人生なんだから!」と言われ、我慢しなくてもいいんだという気持ちにはなった。

 

(2)上手な辞め方、下手な辞め方

そんな事で長年入っていたクラブを辞めた。

メンバーからすれば「何で?」と思った事だろう。何で辞めるのか一言あってもいいだろうと思われても当然だ。それを不義理という人もいるかもしれない。

それでも自分の心地悪さから逃れる必要は今だからある。

上手な辞め方と下手な辞め方があるとすれば下手な辞め方かもしれないが、辞めることには変わりはない。

 

(3)人は思っているほど自分を評価していない

それに入っていた時は耳障りの良いことを言っていた人も年賀状が来なくなったり。それで縁は切れたと思った。

円が続く人は、その場にいなくなってもずーっと続いている。そうでない人はさっさと縁を切って問題は無いという事だ。

クラブにいる時は散々白色と押し付けられて使われていた。それでもそこに貢献しているという意識はあったから頑張ってきたが、その場からいなくなればそんな実績は関係ない。

人は自分が思っているほど評価していないのだ。

 

(4)今が幸せであれば

やはりこれからは心地よい環境に身を置くべきだ。

それは運でしかないかもしれない。その場から離れたら、その趣味などに関わらなくなるかもしれない。風当たりも強くなるかもしれない。

それでも過去よりも現在、現在よりも未来に心地よさは必要だ。

今幸せである事、それが大事。