(1)本来ならば命のリレーは当たり前
人として生まれ育ち、生きていく中で嬉しい事も悲しい事も経験し、恋をして結婚して子供を作り、そして次代へ命のバトンを渡していく。そんな当たり前の事が当たり前でなくなっていく。
やはり「個人の自由」とは厄介なものかもしれない。
自分がしたくない事はたとえやらなくてはいけない事でもしないという「権利」である。それは国を存続させる事と相反することになりかねない事も多々ある。
(2)教育勅語に学ぶ「なぜ?」
「教育勅語」というものがある。
これは明治天皇が国民に向けて教育とはどういうものかを説いたものである。今でも「何で勉強するのか?」という疑問は誰でも持っている。戦後廃止にされたが、この12の徳目を得るための学びとして教育があるとされたものである。
●12の徳目●
1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
(3)結婚し子供を産み育てる徳目
ではなぜ結婚し、子供を作るのかという事である。
当然徳目があるはずである。
そしてそれは個人の自由を越える、国としての方向性として示しても良いはずだ。やはり結婚して子供を産み育てることが良いことだという事を常識としなければならないだろう。勿論、子供を持たない人生もある。しかし子供を産み育てた人とそうでない人は差があって当然である。極端な話だがそう思う。