靄(もや)の中の終章 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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(1)「靄(もや)の中の終章」という小説

「靄(もや)の中の終章」という小説を読んだことがある。とある老人の認知症状が進んでいくという話である。最初はぼんやりと時間を過ごしていたが、人と接するうちに昔の事を思い出し現実との区別がつかなくなる。そして頭の中でプツッと音がして靄の中に吸い込まれていく、という話である。

 

(2)受け止めとはハエ取り棒のようなもの

さて、記事のような事例、認知症でも精神の病気でも「あれ?」と思うようなことが突き付けられた時、どのような行動に出るか、という事が問題となる。

これは精神科の医師が言っていたことだが、受け止めと言うのはハエ取り棒のようなものらしい。

例えば一本の鉛筆があるとする。

大体の人は「ただの鉛筆」となるだろう。しかし人によっては自分を攻撃してくる武器に見えることもある。そうすると、ある人は助けを求め、ある人は逃げ、ある人は相手に襲いかかる、という行動に出るという。これは珍しい事では無く、一般人でも何日も眠れないとこういう事が起きることもあり得るという。

 

(3)心をざわつかせないために

おそらく将来、自分にも認知症になるという事はあり得るだろう。目の前に起こった出来事に対し、心がざわつくことがあるだろう。

 

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何も考えないということは無いだろうから、おそらく昔の事を思い出しながら、という事になるだろう。

 

良い事も悪い事も。

通り過ぎた様々な人を思い浮かべるだろう。

そして後悔もするだろうと思う。

思い通りにならなかった、行動しなかった自分を責めるだろう。

 

それとも自分を許せているだろうか。

自分なりによくやったと褒めてあげているだろうか。

 

まあ、焦らなくてもその時は必ず来る。

楽しみではないけど、静かにその時は迎えたい。