自分の人生を振り返ってみれば、中学生の時から死にたいと思う事が多かったように思う。
一番は毒親であるが、友人関係やら勉強のできなさや、とにかく生き辛いとしか思わなかった。
年間2万人の人が自殺をしているという。
自殺未遂で救急搬送される人が20万人。
そこまでいかなくとも自殺願望のある人は相当数に上る。下手をしたら日本人全人口の10~20人に一人は自殺願望があるとの計算も成り立つ。
そう思えばそんなもんかとも思えなくもないが、苦しみは個々に苦しみである。
介護の研修でも「ゲートキーパー」の講習がたまにある。
そこでよく出るのが自殺したい人は何らかの兆候があるので、見逃さないようにすることと言われる。
残念だが、自殺する人は自殺そのものが目的になっているので兆候があろうが何だろうが死ぬときは死ぬ。つまり止められない。
目的を遂行しようとする人を止めようという人は、その人にとって邪魔な存在でしかないし、話を聞く事もないだろう。
それを視野狭窄と言ってしまえば簡単だが、生きる希望もない人が視野を広げるというのは面倒くさいものかもしれない。
従ってできることは「生きていて欲しい」と伝えることだけ。
死にたいというあなたの意志は尊重するが、私の気持ちは「あなたに生きていいて欲しい」ということ。
私も死にたいと思いながらこの年まで生きてきたことは、自殺する勇気が無かっただけとも言えるが、まだ生きるという選択肢があったという事なんだろうと思う。
こうしてブログに書くこともその選択肢の一つなのかもしれないが、薄っぺらい介護の研修よりは余程役に立つ話だと思っている。