除夜の鐘に思う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

私は東京で生まれ育った。私が子供のころから生で除夜の鐘をきいたことはない。

それで大学4年の正月、帰省せずに仙台で過ごした。生まれて初めて除夜の鐘をついた。

今までテレビでしか見たことのない光景で、嬉しかったことを覚えている。

行き交う人とも「おめでとうございます」と声を掛け合いながら道を歩いたものだ。

 

最近は夜中に鐘をつく音がうるさいと近所からクレームが入り、取りやめるお寺が多いと聞く。それは個人の思うことだからそう思う人もいるだろうが、昔からの風物詩が無くなることは寂しい限りである。

 

クレームを入れた人は「俺のおかげで夜が静かにしてやった」とご満悦かもしれないが、除夜の鐘の意味は心穏やかに新年を迎えるという事である。108の煩悩を除き、新しいものに移るという事である。クレームを入れるのはいいが、そうした意味を分かったうえで、人々の祈りの機会を奪うという事も含めて理解してもらいたいものだ。

 

さて、記事の通りだが、除夜の鐘もアプリになったらしい。

108回タップすると、「あけましておめでとうございます」の文字が出てくるというユニークなもの。

こうしたものでも文化が継承されるのは嬉しいものだと思う。