死にたくないという本能と向き合う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

介護の仕事は死との向き合いでもある。

 

そんな自分だが、今の立場で言えばもちろん延命などしないで良い。葬式もいらない。形見は欲しい人がいればもっていけば良い。骨は散骨で構わない。この世に私が存在したという痕跡は一つもいらない。

 

ちなみに自分の手で食事が出来なくなったら食べさせてもらうなんてことはしないで良いという考えである。

 

「死」を受け入れるとはその準備だと思う。

 

人として、生物として、何処まで出来なくなったら「死」と向かい合おうという事だと思う。

 

私は先に書いたとおりだが、例えば介護で食べさせてもらうと事で命を長らえる事も出来るだろう。

 

でもそれも望まないという事だ。

 

今すぐ死にたいというわけじゃないけど、憂うものが無いという今は自分にとって余生、ロスタイムなのかもしれない。

 

でも実際に命尽きる時は何を考えるかな。

 

おそらく残念な人生だったなと思って死ぬと思う。でもそれは悪い事ではない。その運命を受け入れただけだ。そして、残念であってもすべて悪かったわけじゃない。

 

そう思うと、自分の人生もまんざらではない。

 

あれ、もう死を受け入れているのかな。