神のいる世界、神のいない世界 | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

スポーツなんかでよく見る光景で、大事な場面の時にネックレスの十字架にチュッとキスして動作に入る、というもの。

 

私は無信教なので、あの光景を見ると何となくカッコいなあ位にしか思わないのだが、欧米では宗教を持っているという事はごく当たり前の事で、あの行為は「自分は今までベストを尽くしてきましたので、どうか見守っていてください。結果はお任せします。」という意味らしい。

 

人間というのは弱いものである。そして欲望にまみれている。

なので放っておけばよくぼうのおもむくままにフラフラしてしまうのだが、宗教という信じるもの、自分をコントロールする事が出来るものを心のよりどころにする、という事もある。

 

それは宗教が自分なりの哲学になって、様々な場面での心の支えになっている。

 

ここでは宗教の是非を話したいのではなく、「自分にどうしようもできないもの(過去・未来)については神に任せるとして、自分は今を生きることに全力を尽くす」という考えに至るという事である。

 

自分が信じられるものを持っているから自分を信じることができる。

 

おそらく過去に嫌な経験を持ち、未来に対して不安な気持ちを持つ人は多いと思う。

そして日々を生きる中で、結果におびえることもある。

 

ただできることは今を全力で生きるという事。

逆に言えばそれしかできない。

 

神様がいる世界といない世界。

それでも考え方は学ぶことができる。