私は小学校の3年生か4年生から塾へ通っていた。
両親が教育熱心、と言えば聞こえはいいが、姉も進学塾に通っていたしそういう流れになってしまった。
本当であれば当時好きだった野球をやりたかったが、「中学に入れば出来るだろ」という事でやらせてもらえなかった。実際中学に入って野球部に入ったが、その頃には魅力もなく何となくやめてしまった。
何故両親が教育熱心だったかというと、両親ともに高卒だったという事もあっただろうが、学歴が高いという事は山の高い所から物事を見ることができる」という発想だった。
それ自体は間違いではないと思うが、嫌いな勉強をしなければならない事が苦痛でたまらなかった。
両親は私をを私立の中学校に入れたがり、「公立に行ったら大変だぞ」と事あるごとに言われた。
今思えば何が大変なのかよく分からないし、大変なことを乗り越える事も人生には必要と今では思うのだ。
「七転び八起き」という言葉がある。「最大の名誉は決して倒れない事ではない。倒れるたびに起き上がる事である。」というお釈迦様の言葉もある。
人生、勿論転びたくない。ケガもしたくない。失敗したくない。
嫌なことは避けて通りたいし、もし困難が来ても器用に立ち振る舞って解決したい。
それはおそらく承認欲求。
褒められたいし、賞賛されたい。物事を器用にこなす「デキる人」に思われたいし、何よりも一目置かれる存在になりたい。
でも、今の自分はそういう他人軸で物事を考えることは無くなった。
「人は人、自分は自分」と割り切れるようにもなった。
自分が歩んできた生活歴や学歴、歴史は他のものに替えることは出来ない。
おそらく両親が望んだような有名な学校ではないし、今の仕事が大成功かと言えばそうでもない。
もしかしたらあの世で嘆いているかもしれない。
沢山の人に迷惑をかけたし、嫌われたり、利用されたりもした。こんな生き方しかできなかったが、それでも自分の人生はそれなりに満足している。
そう思う事が出来るだけ良かったのかもしれない。