介護と親ガチャ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

親の介護という場面に直面した場合、皆さんはどのように考えるだろうか。

「よーし!やってやろう!」と張り切る人は少ないのではないかと思う。

 

他人から「お前を産んで育ててくれたんだから感謝しろよ」なんて言われれば「ふざけんな。お前に何が分かるんだ。」と言いたくもなるし。

 

で最近は親ガチャなんて言葉もある。

「親ガチャは当たりではなく、はずれと思っている子ども側から語られがちである。親ガチャには環境要因(育ち)だけではなく遺伝的要因(生まれ)も含まれ、どちらも当たり、片方は当たり、どちらも外れ、がある。特に子供側の観点から、自身の能力や環境に対する諦めや苛立ち、思い通りにうまくいかない原因を「ガチャに外れた」と例え、生まれた時点で「アタリかハズレは運次第である」という意味が込められている」(ウィキペディアより)

 

まあ、大なり小なり「親ガチャに外れた」なんて思う人は多いだろう。逆に言われた側は面白くないだろうと思う。だから先にあげたことを言う人は自分が屋になって初めて親のありがたさや大変さを分かったから言うのだろうと思う。

 

とはいえ、親ガチャに外れたと思い込む人に介護は苦痛以外何物でもない。自分の人生を台無しにされたと思い込んだり、育て方をもう少しうまくしてくれれば豊かな人生なのにと思ったり。

 

でも、メンタルトレーニングを受けた立場で言うと、これはどうにもならない事である。天気が張れとか雨とか言うのがどうにもならないのと同じで、こんな親とか言っても始まらない。

 

そうした時には、与えられたカードで出来る最善策を行う事しかない。

 

人間には自分で出来ないどうにもならない事がある。

だからどうにもならない事をどうにもならない事とアドバイスしてくれる人が必要だと思う。それは特に親子関係なんていうデリケートな問題でも。

 

だから記事のような処世術というか一例は聞いておいて損はない。それが出来るかは別としても。