人は傷つけたことを覚えていない
人は傷つけられたことは忘れない
よく言われる話である。
いじめという問題。
昔からある。
いじめに負けるなと叱咤する人
やられたらやり返せという人
ケンカの仕方を教える人
対処法はいろいろあるんだろうと思う。
でも共通している事は
「強くなれ」という事。
それが出来ればそれに越したことは無い。
しかし、どうしてもダメな場合もある。
その時に「逃げる」という選択肢もあっていい。
この年になって思うのは
小学校や中学校、ましてや高校や大学。
卒業してしまえば嫌な奴なんて付き合う事もなくなる。
嫌な奴だけでなく、親友と思っていた友達も疎遠になる。
人間関係はその時その時がメインになる。
だから大人はいじめなんて、と軽く見てしまいがち。
でも、その渦中にいる子供たちはたまったもんじゃない。
だからこそ強くなって欲しいと思うし、そもそも強さとは何か、自分とは何か、という様々なものを学ぶ機会も欲しい。
私が今、福祉の仕事に就き、それなりに顔を上げて生きていけるのは真の意味で歴史を学んだことが大きい。
この国を支えてきた先人たち、自分の命を犠牲にしてまで国を守ろうとした英霊たち。
そうした「日本人としての誇り」を学んだからこそ、今があると思っている。
それに気づいたのは30代も半ばだった。
それに気づけただけ幸せだった。
中には、「日本人としての誇り」「自分の誇り、価値」を学ばずに年を重ねる人も多いはず。
「永遠の0」という映画の中で主人公が
「この国は50年後はどんな国になっているのでしょう?」と川に足を浸しながら思いを馳せるシーンがある。
自分は特攻で死ぬが、残していく妻や子に、明るい未来が来ることを願っていたと思う。
生きていればそのうちに良い事がある、なんて綺麗事は言えない。
そして、いじめというつまらない理由で糸を傷つける行為がまん延する未来は、先人たちが命をかけて守ろうとした未来ではない。
未来ににつなぐ命。