仕事をしていると働く女性と接する機会もそれなりにある。
広告、保険、何がしかの営業。
テレビでもスーツを着こなし、入館証なんか胸にぶら下げて颯爽としている姿は女性にとってあこがれと言って良い。
しかし、「それと仕事が出来るという事」「人として幸せである」という事は必ずしも同居するとは限らないのが難しい。
別にこれは女性だけではなく男性も同じなんだけど。
で、最終的には「勝ち組」か「負け組」か、という議論になる。
この記事のような子供の頃から利発で勉強も出来、難関有名校に行っても仕事で躓くケースは多々あると思う。
何のために難関有名校に進学したのか。
今までの人生は何だったのか。
どこで間違ったのか。
そんな思いに駆られている事だろう。
そして、この記事に出てくる弟はどう思っているのだろうか。
他人ごとだろうか。
自分の家庭で手一杯だろうか。
やはり「人生の軸」というものが必要だ。
そして、何のために学ぶのか。
学という事はどういう事か。
批判はあるだろうが私は教育勅語の原点に立ち返るべきだと思っている。