結婚というものの考え方、人の成長というものの考え方 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

私は離婚歴がある。

そして、離婚してから20年たつ。今は結婚願望などない。

 

かつてある人が自分たち夫婦の事について、「二人で一人前」と言ったことがある。私も夫婦というのはそういうものだと思っていたし、子供の存在は親を成長させてくれるものだとも思う。

 

また、結婚は川に流される葉っぱの例えも腑に落ちた。

つまり、結婚当初というのは上流で流れも速く、葉っぱは激しく浮き沈みしながら、あちこちにぶつかりながら流れていく。しかし、下流の大きな川にたどり着けば緩やかな流れになり、という話だ。

 

この記事を読むと、どちらかと言えば結婚というより「パートナー婚」の意味合いが強いように思う。

 

つまり、結婚して子供を産んで、家系を守って、というのではなく、一人一人が独立した、成熟した大人の付き合いとして、必要であれば結婚という制度を利用して、というものだと思う。

 

確かに、未成熟なままで、ぶつかり合う人間関係はしんどい。

他人を自分の思い通りにしたい、言う事を聞かせたいという感情は他人を支配する事にもつながるだろうし、それが出来ればこんなに気持ちの良いものはない。

 

そう思うと結婚という形そのものが変化しているのだろうとも思う。

 

いわゆる「一人前になる」という事は人俺ぞれ価値観は違うだろうが、男性の場合、仕事も出来、給料も稼ぐことが出来、家事は機械が行うし、食事は外食を含めて何とかなる。趣味がゲームとか、別に誰かそばにいなくても好きなことを満喫できる、という環境であれば、結婚願望も薄れるだろう。

 

そもそも結婚して好きな趣味が出来なくなるなら一人のままでもいい。そう思って不思議ではないし、悪くもない。

 

それが今の生き方だろうが、やはり、う~ん、それでいいのだろうか、と思ってもしまうのである。

 

価値観は押し付けるものではない。

しかし

(1)結婚して子供がいる。子育ては苦労するが、育てる楽しみや親になる責任感が出る。

(2)結婚はするが、子供は作らない。お互い干渉せずにお互いに楽しむ。

(3)結婚せず、一人で楽しむ。

という段階を考えた時、(1)が自分の憧れというか、人として当然というか。そうしたものは教育というより各家庭の価値観なのかもしれない。

 

などなど、色々と考えを巡らせながらも、何もしていない自分が一番テキトーだと思う今日この頃。