福祉の仕事をしていると、どうしても家族問題が気になる。
それは良い面でも悪い面でも。
元来は中国の「礼記」や仏典に由来する三従の教えである、「若い時は親に従い、盛りにしては夫に従い、老いては子に従う」というもの。
キーワードを「意思決定者」と考えた場合
意思を決定するという事は責任が生ずるという事にもなります。社会生活を営む上で必要な事でもあります。
当然決まり事も出てきます。
責任を生じない意思決定というもので良ければ、誰も決まり事なんか守らず好き放題やって社会は成り立ちません。
現代は「個の尊重」という価値観。家と言う社会的単位が崩れかけている現代。
そうであれば責任の所在は「個」になるのかもしれません。
責任を取れない対象者が責任を問われるケースはそれなりに耳にする。
昨今起こっている回転ずしや飲食店での迷惑行為。
もはやいたずらの範疇を超えており、店側は民事・刑事両面から厳正な対応を取るという方針。おそらく民事ではそれなりの額の損害賠償請求がされるとの見通し。
また、いつだったか子どもが親のパソコンでアダルトサイトを見てその請求が来たケース。
子供が見た事と言って支払いを拒否。支払い免除を認められたというものもあった。
個々の事例は司法が決めることであるが、責任の取れない人の監督責任は親にあるという事。
なんかとりとめのない文章になってしまいました。
しかし、責任の所在という事を考えた場合、あるいは「個の尊重」という事を考えた場合、その責任の重さや面倒くささを憂慮して、一人が良いと思う人がいても不思議ではないと思う。それは真面目な人であればあるほど、考えてしまうのだろう。