「台風被害を心配した、知り合いの編集者からでした。どうしてる? と聞かれたので、このマイペースで融通が利かない父と母との生活がいかに大変か、まくしたてたんです」 編集者から「その話、めちゃくちゃ面白いからちょっと書いてみたら」と言われ、この体験をウェブサイトに寄稿してみることに。ありのままの老父母の姿と暮らしぶりを、本音やイラ立ちも隠さず、臨場感たっぷりに書いた。 すると、「うちのじいさんはもっとひどい!」とか、「うちのばあさんも大変なんだ!」といった書き込みが相次いだという。(文中より)
介護の現場を経験した人は、一度は「早く介護が終わんないかな」と思うであろう。
介護地獄、という言葉さえある。
終わりの見えない苦しさである。
私は介護の入り口はここにある、という前提でケアマネの仕事を始める。
しかし、中にはこのように「早く終わらないかな」というのをそうあっちゃいけない、そんな事を考えてもいけないと心にふたをする人も多い。
人によっては自分は虐待をしているのではないかと悲観する人もいる。
また、コメントの中に「自分は親との関係が良く、ずっと長生きして欲しかったから、この題名は傷つきました」というのもあった。
それはそれで良い。本来そうあってほしいと思う。
でも、考え方によっては疑問符もつく。
死ぬ、という事はこの世の役割を終えることでもあり、この世という学校の卒業だ。
人にとって、人生を生き抜いたという事は大変な事。これ以上は生きることが出来ない。人生を全うしたのだ。
人生を全うした人と向かい合うのだから、きちんと見送らなければならない。それが残された人のなすべきことだ。
いつまでも悲しんでいたら、いつまでも執着していては成仏できない。
いつまでも生きていて欲しいと願う人も、とっとと逝ってくれと思う人も、介護と向き合った時に色々と思う事はあっただろう。
後悔することもあっただろう。
親との日々を思い返しながら昔を思い出すこともあったかもしれない。
だからこそ全て思い出として自分の心と向き合う事だろうと思う。
素直な気持ちで手のしわとしわを合わせて幸せを祈る。お香の煙に乗って、天にいる人に思いが伝わる。
そういう思いを感じながら、私たちは日々、業務に邁進している。