例えば生物として人間を考えた時
口からものを食べられなくなったら、もう食べなくて良いと考えるか
胃瘻や点滴をしてでも生きて欲しいと願うか
いわゆる死生観が問われることだと思う。
寝たきりになってでも
脳死と言われる状態でも
認知症で訳が分からなくなっても
それでも生きていたい
それでも生きていて欲しい
その願いというもの
おそらく私は
口から食事が摂れなくなったら
その時点で何もしなく良いという判断をすると思う。
少なくとも今はそう思う。
独り身だし
特に長生きしなければならない理由もない。
でも、子供がいた場合、
成人するまでは教育の必要があるとか
孫の顔が見たいとか
生きる価値がそこにあるのであれば
長生きする意味はある。
健康寿命から平均寿命まで10年。
データ的に介護期間が10年というのが戦慄というけれど
どのように生きるかだけでなく
どのように死ぬか
その準備をしないまま
目を背けたまま
という事なのでしょう。
勿論、出ない答えをそのままにしておく発想は
生きるうえで必要な知恵。
自分がいなくなることの恐怖
自分なんていなくても良いという気持ち
生きるも死ぬも
様々な考えが交錯する難しい問題だ。
